傍にいて欲しいのは
二人の気持ち
 何度か入った事のあるステーキハウスで食事をしていた。

「どうした? 食欲ないのか? いつもの半分も食べてないよ」

「ごめんなさい。ちょっと気分が悪くて」

「もう帰ろうか? 送って行くよ」

「いい。一人で帰れるから」

「ダメだ。送って行くから。莉奈を一人でなんか帰せやしないよ」

「子供扱いしないで」
 何故か、そんな言葉が出てしまった。

「子供だなんて思ってないよ。どうした? 僕のせいなのか? 何があったんだ。言ってごらん」

「ほら、また子供扱い。もういい」
 私は一人で店を出た。

 隆文さんは支払いを済ませて少し遅れて出て来たけれど、私はタクシーをつかまえて逃げ出した。自分でも何をやっているのか良く分からない。

 久しぶりに隆文さんと会えたのに……。素直に甘えればいいのに……。


     *


「莉奈……」
 今夜は帰ろう。タクシーで帰ったのなら安心だ。まだしなければならない事が嫌になるほど残っている。

 メールの一つもしなかったことを怒っているのか?

 妻の身内がたくさん居る中で、そんな時間はなかった。


 今、莉奈のことを知られるのはマズイ。まだその時期ではない。

 これまで、あんなにも慎重に課の誰にも気付かれることもなく半年。いいかげんな気持ちじゃない事は莉奈だって知っているはずだ。


 一年前、私の課に配属された莉奈を見た時、忘れていた胸のときめきを覚えた。十年の歳の差など、すっかり忘れる程、可愛かった。誰にも渡せないと思った。

 仕事は斬新な企画などを積極的に出すタイプではないが、資料を纏めたりプレゼンの原稿を書かせたら文句の付けようがない。華やかに仕事をするタイプではないが、絶対に欠かせない存在だった。

 それが男としての私にとっても、絶対に欠かせない存在になるのに、たいして時間は掛からなかった。一緒に居ると心の底から安らぐ事が出来た。

 不倫だという自覚はなかった。いけない事をしているという罪悪感も……。

 それほど莉奈のすべてが私の人生に必要な掛け替えの無いものになっていた。


 妻は結婚して僅か三年で闘病生活に入った。急性骨髄性白血病と診断されて四年。病状は一進一退を続け一年前、最悪の覚悟をするよう医者から言われた。

 同じ会社の山崎専務の遠縁のお嬢さんで、父親は会社を経営していた。

 所謂お嬢さん育ちで我が儘だったが、当時はそれが可愛くも思えた。病気になって我が儘も度を越すようになり父親の財力を借りて豪華な個室で看護師の資格を持った付き添いまで与えられていた。

 僕が病室に行っても、彼女から出る言葉は経済力のない僕を罵倒するようなものばかりだった。
 見舞いの足が遠退いても仕方なかったと思っている。


 莉奈と過ごす時間だけが心から幸せだと感じることの出来る、私にとって一番大切なものだった。


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