有害なる独身貴族
店長が歪んで見える。
記憶の彼と一致していたはずの彼の顔が、もうよく分からない。
あれは、店長じゃなかったの?
顔が似ていたのは、兄弟だったから?
だとしたら。
私は何の関係もない店長に会うために、仕事を辞めてまでここに来たの?
視界をよぎる、おばあちゃんの影。
最後に見た顔は笑顔じゃなかった。
それでも、“彼”に会えたんだからと自分を保ってきた。
なのに――
血が一気に下がっていく感覚がした。
うつむいた私の視界には小刻みに震える自分の足と明かりを反射しながら落ちる雫。
私を支えていた足元が、一気に崩れ落ちる。
もう駄目だ。
ここから、消えてしまいたい。
「そ、でした、か。すみま……」
たどたどしく言って、裏口まで走った。
まっすぐ走っている感覚はなかったのに、体がちゃんと前に進んでいることが不思議だった。
夜の街のネオンがぼやけて、見知らぬ場所のように見える。
まるで迷路に入り込んでしまったような気分だ。
「あっ」
突然、体が浮いて、前のめりに転がる。
どうやら、道路の溝につまずいてしまったらしい。
「……ったい」
起き上がってみると、膝から血が出ている。
皆に褒めてもらったワンピースの裾にも血と泥がついてしまった。