有害なる独身貴族
「つぐみが欄干に足をかけるのを見て、“ああ、その手があったんだ”って思ったんだ。今の苦しみから逃れるのに、死ぬっていう方法もあったんだって。だから黙って見ていた。この子が死ぬのなら、ここで一緒に死のうかと思っていたんだ。全く関係のない子だけれど、俺は一人で死なずに済むって」
眉をよせ、吐き捨てるように「最低だろ?」とつぶやく。
私はそれに頷くでも否定するでもなく、ただ片倉さんを見つめ続けた。
「でも、つぐみは死ななかった。……自分で足を戻したんだ。俺は、……自分の弱さをけなされた気にもなったし、励まされた気にもなった。少なくとも、今死ぬのは違う、死ぬ気になればなんでもできるはずだと、教えられた気がした。だから」
片倉さんの手が、あの日をたどるように動く。
乾いた拍手が、パンパンパンと三回鳴った。
「“生きろよ”、も“悪くない人生が待ってる”もつぐみに向かってというよりは、自分に言い聞かせていたようなもんだ。小学生が頑張っているのに、俺が負けるわけにいかないだろ。だから俺はつぐみを救ったわけじゃない。むしろお前に救われてた」
頭の奥を、茜さんの言葉がよぎる。
『橙次は心を救ってはくれないの』
彼に誰かを救えるはずなど、なかったんだ。
誰より、救われたいと願っていたのはこの人だったんだから。
「それから、俺はやりたいように生きることにした。無農薬栽培にかけた想いを、なんとかして生かしたかったんだ。俺は上司だった北浜さんの反対を押し切って役所を辞めた。そして調理学校に通いながら日本料理の店で修行させてもらった。無農薬野菜を最大限に活かす手法を学ぶためだ」