有害なる独身貴族
それから数十分後、忘れ物を取りに来たお客様の名前を聞く前にそれを指し示した彼は、お客様の顔をきちんと覚えていたのだろう。
凄いなと思う。
店長が絶大な信頼を置くのも頷ける。
私もあんな風になりたい。
そんな熱い想いを胸に見つめていたら、数家さんが不意に近寄ってくる。
え? なんで?
ドキドキして、営業スマイルが崩れてしまう。
「房野、上田を休憩に入れたから。終わったら次な」
「あ、はい。……あ、そうですね」
休憩タイミングは店の混み具合を見て店長や数家さんが判断する。
なんだ。ただの業務連絡だ。
変にドキドキしてしまって恥ずかしい。
そこから数十分後。
お客様の会計を終え、鍋を下げると、調理中の店長が顔を上げた。
「つぐみ。そろそろ休憩入れ。ほら、賄い」
店長の手は止まらない。
流れるような滑らかさで、器を温めていたお湯を捨て、温めた麺を入れ、煮汁を入れる。
今日の賄いはうどんのようだ。
普段の素行とかはどうなのって思う店長だけど、料理は本当に美味しい。
見ているだけでお腹がすいてきちゃう。
「美味しそう」
「だろ。ほら、冷めないうちに食えよ」
「でも上田くんがまだ戻ってなくて」
「時間的にもう食い終わってんだろ。まだ事務所にいたら追い出せ」
なんてことを言うのだ。
30分の休憩時間くらいしっかりとらせてあげればいいのに。
でも、私もお腹が空いたので苦笑しながら器を受け取る。
「そうします」
だって、このうどんを温かいうちに食べられないのは勿体無いもん。