有害なる独身貴族


やがて仕事が終わり、パートさんやバイトの上田くんが先に帰っていく。


「店長、今日も居残りですか?」


数家さんの問いかけに片倉さんは首を振る。


「いや」

「じゃあ、房野を駅まで送らなくてもいいですか? 俺先に帰りますよ」


ここのところ、数家さんが駅まで一緒に来てくれていたのは、どうやら片倉さんが頼んでいてくれたらしい。
てことは、今日は片倉さんが途中まで一緒に帰ってくれるのかな。

着替えを終えて、期待して近寄ると、「ちょっと待ってろ」と言われたので客席の椅子に座って待つ。

最後まで発注の相談をしていた高間さんがFAXを流してから帰って行って、私たちはふたりきりになった。
「じゃあおつかれ」と扉の向こうに消えていく高間さんを見届けたところで、片倉さんは私の向かいの席に腰掛ける。


「ちょっと話があるんだが」

「はい?」


改まった調子に、私の背筋まで伸びてしまう。
彼は時折目を泳がせながら、まるでいたずらの言い訳をする子供みたいに、ぼそぼそと話しだした。


「手を出さない補償は無いけど、俺の部屋のほうが、お前の部屋より店に近いし、広いし」


何の話かと思って首をかしげると、彼は頭をくしゃくしゃと掻きむしる。


「だから、越してこないか」

「え?」


手を引っ張られて、手のひらを上に向けされられる。
片倉さんは自分のポケットを探り、シンプルな金属のキーホルダーがついた銀色の鍵を出し、私の手のひらにのせた。

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