柴犬主任の可愛い人
――……
時刻は午後六時。
今日が営業かどうかも未確認なまま、昨夜の失態劇場である小料理屋の前に辿り着く。
ヤッバい……緊張でお腹が痛くなってきた。
以呂波――いろは。いろはにほへとの“いろは”だと昨夜教えてもらった。その店名が書かれた看板が淡い照明によって宙に浮かんでるよう。そのほわりふわりとした印象も、ずっとお店が気になる要因のひとつだった。扉のすぐ傍、私と同じ目線の高さには、今日はひなげしの花が生けてある。
迷うぶんだけ時間は過ぎる。早くに伺えば他のお客もまだ少なくて、謝り倒しやすいと思って来たのに……。
恥ならもう存分にかいた。えいっ、と気持ちを鼓舞して小料理屋伊呂波の扉に手を掛けた。
「いらっしゃいませ。来ていただけて嬉しいわ。でも、気になさらなくても本当に良かったのよ。いくら約束って言い切ってしまったからって」
「へ?」
「何度も何度も、今日はお詫びに伺います~、って泣いてたから気にはしていたのだけど」
「はっ……ははっ。失礼ばかりしてしまったので、当然のことと思いまして」
なんて、今日も麗しき女将さんに話は合わせてみたが、己の発言らしいことを一切覚えてない……来て良かった~、お詫びに行くのギリギリまで決めかねてたから。
まだお客の気配はなく、ミョウガを刻んだ清涼感溢れる香りが店内を包んでいた。包丁を握る手元を休めた店長さんが一旦顔を上げてくれ、目線があまり合わないままいらっしゃいの一声をいただく。一日経ってまた初対面レベルに戻ってしまった店長さんの対人スキルを察し、昨日の謝罪を一言伝え、詫びの品物は女将さんに渡すことにした。
「昨晩はご迷惑おかけしてしまい申し訳ありませんでした。――これ、たいしたものではありませんが、お納め下さい」