柴犬主任の可愛い人
お手洗いから戻り個室に入る前、さっき鏡で確認してきた最悪な顔からは抜け出した造った笑みを貼りつけて虚勢を張る。
「すみません。お部屋予約しておきながら、もしかしたらご飯なんて食べてる雰囲気じゃないかも。今度お腹いっぱい食べるので今日のところは……本当すみません」
そんなこと最初からわかってたはずだ。
ただ、ここなら、堪えると同時に、格好つけてでも何でも、頑張れると思ったから。
少しだけの虚勢に嘘は乗る。だから、せめて他は正直にいこう。……どうせバレてるかもしれないし。
「前に、付き合ってた人です」
個室の中の人の正体を伝えれば、華さんはいち早く閃いたようだった。あのときの? と思い浮かべたそのあとは、余計に心配させてしまったみたい。
伊呂波に初めて来たとき、私は散々な状態で泣いてしまったっけ。
頷くと、一緒にいようかと言わせてしまう。本当、今日はついてない。誰かに迷惑をかけてしまうことが多いなんて最悪だな私……。
「大丈夫です。修羅場になるとかないですし、より戻したいとか泣き叫びませんから大丈夫です――そうですね。まかり間違って襲われるようなことでもあれば助けて下さい。大きな音出しますから」
お手洗いにしてはずいぶん経ってしまった気がする。襖の向こうの純弥も私が色々話す気配には気付いてるはず。
「青葉ちゃん」
「もうちょっとだけ、ご迷惑おかけします」
これは、当時しなければいけなかったことが遅れてやってきたこと。覚悟を決めて個室に足を踏み入れた。
その表情は以前と変わらない。私を待つ間に心が折れそうになったのか、純弥は眉間に皺を寄せ、平常心であろうとしていた。
「ごめん。お待たせ」
テーブルを挟んで純弥の正面に座り、揺れる瞳を見つめる。
「……ご……ごめん。青葉……」
あのときはごめん――
――不安になったと、純弥は言った。