空よりも高く 海よりも深く
それから丸一日して眠り姫は再び目を覚まし、また同じように周りの人間に怯えた。日が経ってもそれは変わらず、眠り姫の看病は困難を極めた。
けれど不思議なことに、フェイレイの声を聞くと落ち着くのだ。
フェイレイがいれば、眠り姫は怯えながらも診察を受ける。
眠っている間、ずっとフェイレイがついていた。ずっとフェイレイの声を聞き、彼に触れられていた。たとえ意識がなくとも、献身的なそれを身体が覚えているのだろう、というのが医師たちの見解だ。
診察以外で怯えさせるのも可哀想なため、当面の間、アリアとランスはフェイレイだけを病室にやり、廊下から見守ることにした。
「話には聞いていたが……よほど酷い虐待を受けていたのだな……」
穏やかな田舎町で平和に暮らしていた少女が、突然クーデターに巻き込まれ、虐待を受け、母を失い、従者を失い──どれだけ心に傷を負ったことだろう。そんな眠り姫が、人を見て怯えるのも無理はない。
数日に渡る検査で、記憶障害を起こしていることも分かったし、声も出すことが出来なくなっていた。
そんな中、フェイレイが献身的に看病していたことが救いとなった。
ひとりでも眠り姫の心を癒すことが出来る者がいるのなら、今後病状が回復する希望がある。
にこにこと微笑みながら絵本を読んでやるフェイレイを、眠り姫はぼうっとした瞳で見ている。
まるで人形のように、眠り姫には表情がない。
けれども他の人間が近づくと怯えて震える彼女が、フェイレイの前では大人しくしている。彼の呼びかけに、こくりと頷いている。そしてそんな眠り姫を見て、フェイレイも嬉しそうだ。
「……なあ、ランス」
「うん?」
「今、眠り姫をエインズワース夫妻に引き渡すことは出来ん。あの状態ではとても長旅など無理だろう。フェイレイ以外に懐かない状態では……」
「……うん」
「私が引き取りたい。……駄目だろうか」
しばらく沈黙が降りた。
やはり駄目だろうか。
いや、駄目だろう。
ギルドを、ひいては国家を巻き込むような大事だ。情に流されて判断するべきことではない。それはよく分かっている。
それでも……。
「記憶もないんだ。あの子は皇女ではない。親を亡くした哀れな娘だ。カントあたりに生まれた、ただの娘なんだ」
「いいよ」
冷たい廊下に、あたたかな声が響いた。
「俺もそう思っていた。君がそう思っているなら、是非そうしてやりたい。うちの養子にしようか」
ランスは微笑んでいた。それを見上げ、アリアも笑顔になる。
「お前ならそう言ってくれると思った」
「うん、俺も、君ならそう言うと思った」
そうして、夫婦は軽く抱擁を交わす。
「覚悟は出来てるな」
「もちろんだよ」
「まずはエインズワース夫妻を説得だ。その後、国王に進言する」
「大変だよ」
「任せろ。国王とは学友だ」
「あはは、アリアは本当に頼もしいな。惚れ直したよ」
そう言って、ランスはアリアの頬に唇を落とす。
硝子窓の向こうからたまたまそれを見ていたフェイレイが、にこにこ笑って「らぶらぶー」と囃し立て、眠り姫はぼんやりとした目で首を傾げていた。
けれど不思議なことに、フェイレイの声を聞くと落ち着くのだ。
フェイレイがいれば、眠り姫は怯えながらも診察を受ける。
眠っている間、ずっとフェイレイがついていた。ずっとフェイレイの声を聞き、彼に触れられていた。たとえ意識がなくとも、献身的なそれを身体が覚えているのだろう、というのが医師たちの見解だ。
診察以外で怯えさせるのも可哀想なため、当面の間、アリアとランスはフェイレイだけを病室にやり、廊下から見守ることにした。
「話には聞いていたが……よほど酷い虐待を受けていたのだな……」
穏やかな田舎町で平和に暮らしていた少女が、突然クーデターに巻き込まれ、虐待を受け、母を失い、従者を失い──どれだけ心に傷を負ったことだろう。そんな眠り姫が、人を見て怯えるのも無理はない。
数日に渡る検査で、記憶障害を起こしていることも分かったし、声も出すことが出来なくなっていた。
そんな中、フェイレイが献身的に看病していたことが救いとなった。
ひとりでも眠り姫の心を癒すことが出来る者がいるのなら、今後病状が回復する希望がある。
にこにこと微笑みながら絵本を読んでやるフェイレイを、眠り姫はぼうっとした瞳で見ている。
まるで人形のように、眠り姫には表情がない。
けれども他の人間が近づくと怯えて震える彼女が、フェイレイの前では大人しくしている。彼の呼びかけに、こくりと頷いている。そしてそんな眠り姫を見て、フェイレイも嬉しそうだ。
「……なあ、ランス」
「うん?」
「今、眠り姫をエインズワース夫妻に引き渡すことは出来ん。あの状態ではとても長旅など無理だろう。フェイレイ以外に懐かない状態では……」
「……うん」
「私が引き取りたい。……駄目だろうか」
しばらく沈黙が降りた。
やはり駄目だろうか。
いや、駄目だろう。
ギルドを、ひいては国家を巻き込むような大事だ。情に流されて判断するべきことではない。それはよく分かっている。
それでも……。
「記憶もないんだ。あの子は皇女ではない。親を亡くした哀れな娘だ。カントあたりに生まれた、ただの娘なんだ」
「いいよ」
冷たい廊下に、あたたかな声が響いた。
「俺もそう思っていた。君がそう思っているなら、是非そうしてやりたい。うちの養子にしようか」
ランスは微笑んでいた。それを見上げ、アリアも笑顔になる。
「お前ならそう言ってくれると思った」
「うん、俺も、君ならそう言うと思った」
そうして、夫婦は軽く抱擁を交わす。
「覚悟は出来てるな」
「もちろんだよ」
「まずはエインズワース夫妻を説得だ。その後、国王に進言する」
「大変だよ」
「任せろ。国王とは学友だ」
「あはは、アリアは本当に頼もしいな。惚れ直したよ」
そう言って、ランスはアリアの頬に唇を落とす。
硝子窓の向こうからたまたまそれを見ていたフェイレイが、にこにこ笑って「らぶらぶー」と囃し立て、眠り姫はぼんやりとした目で首を傾げていた。