蜜愛フラストレーション
彼女をこの場に連れてきたのは、なんと人事部長。部長直々に案内されて現れた途端、企画部の賑わいは静寂に変わった。
「大阪支社で広報を担当していたが、かつての戦友だ。すぐに勘を取り戻して大活躍間違いなしだろうね、五十嵐さん」
調子のいい声で彼女に話しかける人事部長は、娘ほど年の離れた彼女の顔色を常に窺っていた。
「とんでもありません。ブランクがありますので皆さんにご迷惑をお掛けするかと」
控えめな態度で笑う彼女に人事部長が一喜一憂するのも無理はない。
彼女の言動ひとつで、自身の足場がぐらつくことになるのだから。
この職場には、かつての彼女を知る者が多い。ゆえに言葉の端々に嫌味が込められていることにも気づくはず。
それでも横槍を入れたり、茶化す者は誰ひとりとしていない。この女性の名前がそうさせていた。
一通り挨拶を終えたところに専務が現れた。その瞬間、この場に居合わせた者の頭が一斉に下がる。
専務が社内を回ることはあまりなく、社員と顔を合わせる機会も少ない。そんな人が朝から秘書を伴って姿を見せたのだ。
周囲と同じく一礼しながら、よく似た面差しを前に私の緊張はピークに達していた。
「突然悪いね。久々だから迷惑をかけるだろうが、よろしく頼む」
専務は菅原課長にそう言って、彼女の肩に手を置き笑った。そう、彼女は五十嵐専務の娘だ。
ただ、課長はふたりを前にしても態度を変えずに淡々と処理していて。そこからも彼が特別扱いを厭うことが見て取れた。
「専務、私はもう子供ではありません。それに皆さんが余計気を遣うわ」
専務と呼びながら、口調は親に対するもので。むしろそれをアピールしているように感じられた。