蜜愛フラストレーション
「で、どうするの?私はコレ、割と気に入ったけど」
「……資料、書き換えさせて下さい」
頭を下げてお願いすると、「午前中に上げといて」と単調な物言いが返ってきた。
「ありがとうございます!」
もう一度頭を下げてから鞄を持ち試作室を出ると、フロアまで小走りに向かう。
紀村さんから以前のような行為は一切されていない。最近になって謝って貰えたし、私も水に流した。
仕事のパートナーとして、対等に付き合って貰えるだけで充分だ。
今までは職場でのもめごとに巻き込まれないよう、いかに先輩の機嫌を取って、お膳立てするかに終始してきた。
課長がプレゼンの度に“ありきたり”だと指摘したのも、仕事ぶりに現れていると見抜いてのことだろう。
確かに、社会人として上手く立ち回る必要はある。しかし、正しいことまでねじ曲げるのは間違っている。そのことにようやく気づいた。
仕事は仕事、そう割り切って。先輩だから、と臆するばかりではいけない。意見を出し合い、より質の高い物を生み出す。
こんな初歩的なことに、今ごろ気づくなんて情けない。つい、重い溜め息を零してしまう。
後輩のハルくんの指導役、このまま蔵田さんと変わるべき?いや、彼女が断固拒否するだろう。
今さらかもしれない、けれども変わりたい。——自分の弱さと甘さを凌駕するためにも。
フロアに辿り着くと、忘れていたはずの緊張と恐怖が一気に襲ってくる。
何を言われるのか、何をされるのか。疑心暗鬼だった頃まで蘇り、胃が痛くなってくる。
昨夜の松木さんの形相を思い出してしまい、身体が震え始めた。それでも深呼吸をし、中へと踏み入る。
フロア内は明日の通達のせいか慌ただしさを極めており、私も冷や汗をかきながら自席を目指して進む。
途中で松木さんのデスクを見かけたものの、そこに彼の姿はなく。幸運なことに五十嵐さんまで不在で、どっと身体の力が抜けた。
いくら逃げ回っていても、同じフロアにいる限り必ず会う。その時が来たら、逃げずにけりをつけるつもりだ。
今はこの平穏に感謝しながら、デスクへと向かう。席につくなりPCにログインし、その後は今すべきことに集中した。