蜜愛フラストレーション


百合哉さんにはあとでメールでもろもろ謝罪するので秘書さんに無駄な火の粉は掛からないはず。怒り厭きれながらも最後は許してしまう、そんな人だから。

ゆえに私が立ち会わなかった理由、それは優斗だった。

明日ですべてが決まる大切な時に、もう心を乱させたくないから。おのずとシャワーを浴びていない私は、再び顔を合わせるのを避けた。

またどれほど優斗を苦しませるのか、それを想像すると心臓が波打つように速まっていく。この状態で平静を保つ余裕もない。

——何も出来ない今は無事に終わることを祈りながら治療しよう、そう決めたのだ。


放射線科でのレントゲン撮影はすぐに終わり、次に口腔外科へと向かった。

担当した歯科医によると、口内の傷は縫わずに済むけれども、感染を防ぐために入院中は消毒するという。

ただ今の状態から今夜は右頬が腫れるので、しばらくは飲食にも気をつけるようにとのこと。

確かにピリピリした痛みだったのが、今はズキンズキンと規則的な鈍痛に変わっていて。少しずつ頬が腫れてきたのかもしれない。

歯科医からは痛み止めの飲み薬が処方され、さらに担当医へ頬の手当てと注意事項を指示して貰うと診察は終了した。

ひとりで病室に戻ると、テーブル席でタブレットPCを操作していた紀村さんが出迎えてくれる。

そこへすぐに看護師が部屋にやって来た。ベッドに腰かけた私の頬の手当てに細かな外傷の処置、さらに手首に点滴が入れられる。

ぼんやり液の雫を眺めていたら、院内の薬剤部を通じて口腔外科の処方薬が出たのですぐ飲むようにと言われる。

すべてを終えた看護師さんが退出。そこで立ち上がった紀村さんが、吸い飲みとペットボトルのミネラルウォーターを用意下さった。

「北川くんたちに言いに行った時に買ったの」と。

このひと言を聞けば、既にふたりが仕事場に戻ったのだと分かり、彼女に深く一礼する。


「けどね、北川くんもあの人も頑として聞かなくて。まあ、当然と言えば当然よね。
病室に戻ったあなたを失望させる覚悟がおありならどうぞって言ったら、ようやく折れたわ」

そこはかとない脅しにも感じられたが、彼らの在るべき場所はここではない。女傑らしい淡々とした口撃の一手に心から感謝した。


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