蜜愛フラストレーション


専務の怒りの矛先は当然のように課長に向く。ゆえに任務を完璧にこなすことが求められた。

五十嵐彩が大阪へ異動した後の俺の役割は、専務から付かず離れず、絶妙な位置で関係を保つこと。

専務と接触する度、嫌悪感の増すところが親子そっくりだと実感させられたが。穏健派としての姿勢は崩さず、社内の情報が入りやすい環境で暗躍するのはとても苦心した。

ちなみに五十嵐彩の異動の理由については箝口令が敷かれたため、萌ももちろん知らない。

突然の異動には驚いたようだが、五十嵐彩という不穏分子が消えたことに安堵したのか、少しは眠れるようになったという。

落ち込んだ食欲もゆっくりと戻り始め、欠食する回数が減ったことも聞くと心底ホッとした。

しかし、泣くことがなくなった。いや、心から笑うことがなくなって。彼女から明るさを奪った自らを責めるばかりだった。

泊まらずに帰宅する萌が自宅からいなくなると、自分のしていることが正しいのか幾度も問い質した。

ふたりきりで過ごす時間に俺がどれほど癒されていても。彼女には苦痛だったのかもしれない。

俺だけに見せてくれた甘やかな表情は消え去り、無理をしているのが痛いほど分かるからだ。

過去を取り戻したいわけじゃない。だが、もう以前の萌を取り戻すことは叶わないのか。何度も自らをそう責め続けた。

気持ちが離れかけている状況の中、俺たちが確かに繋がるのは身体だけ。華奢な身体を組み敷きながら、壊れそうでいて頑な心を溶かそうと模索する。

しかし、何度目かでそれが間違いだと気づく。——俺が躍起になって急ぐあまりに、萌の傷をより深くしていたのだと。

彼女には時間が必要。彼女が笑えなければ俺が笑えば良い。そして誰よりも一番近くで支えたいと。

苦しんで立ち止まりかける前に、すぐ手を差し伸べられるように注視して。今まで以上に愛情を余すことなく伝える努力を始めた。

そんな俺の身体もキスも受け入れてくれる萌。しかし、肝心の心の機微は隠したがる。

抱き合う時間がもたらす快感には素直に甘い嬌声を上げる彼女。

それでも、抱き合うほどに心の隙間は広がっていく。気持ちよさより、虚しさが先立つこともあった。

本音を言葉にしても、欲をありのまま伝えようとしても、大切な人にはなんら伝わらない。もどかしさで焦る度に、ユリアがストッパーとなってくれた。

そんな状況の中で、時折ほのかに切なさを宿した萌の瞳を目の当たりにすると、愛しくて堪らなかった。

今はこれが彼女にとって最大限の感情表現。そう解釈しながら、曖昧な関係を続けてきた。

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