蜜愛フラストレーション
ユリアさんと彼はしばしの睨み合いをしていたが、やがて彼は私の方に向き直ると心配げな顔でこちらを覗き込んできた。
「萌、誤解しないで欲しい。全部断ってるから」
「…………そうですか」
なんと言うべきなのか短い時間迷った末、出た言葉は自分でも驚くほど淡々としたものだった。
しまった、やらかした、失敗した。瞬時にその言葉がよぎり後悔していると、不意にカウンターテーブル上にある私の手の上に大きな手が重ねられた。
つられるように顔を上げると、とても嬉しそうな表情で私を捉えて離さない彼と目が合った。
その真剣な面持ちを前に思わず息を呑んだ私に対して、やがて柔らかな表情へと切り替えてくれる。
「萌がその顔をした時は、嫉妬してくれたって分かるよ」
「……私」
「この顔を見せてくれたから、今はそれで十分だよ」
ユリアさんのような知己の間柄と言えないのに、不器用な私の言葉の裏が理解出来てしまうらしい。
彼は本音を覗いたり暴こうとするのに、こういった場面では絶対に強く求めたりしない。引き際を見極めている彼のおかげで曖昧な関係も続いているようなもの。
この宥めるような声に、今ある手の温もりだってそう。彼の優しさは以前と何ら変わっていない。もちろん、これほど人目を惹くのに誠実な人柄であることも知っている。
ゆえに、どうしようもなくこの人が好きで仕方ないことを痛感するのだ。
「……北川さんがモテるのはよく分かってますから。ユリアさんの発言に付け加えますが、私もユリアさんと一緒にナンパされているのを目撃したことがあるので今さらですよ?」
「萌?」と訝しげな顔を見せる彼に、これ以上の本音を晒すのは賢明ではないと思う。
「それより、もっと飲みませんか?」
胸の奥にツキリと小さな痛みを覚えて泣きそうになるのを、グッと堪えて笑う外ない。これがかつての私が選んだ道なのだから……。
それから改めてユリアさんが私に作ってくれたカクテルは、“ワット・イズ・ラブ”というリキュールベースのもの。
北川氏と飲む時には敢えてこれに変えるユリアさんこそ、彼以上の策士ではないかと私は思う。
それぞれグラスを手に乾杯し、ひんやりと冷たいお酒を一口飲んだ。
「今回もプレゼン成功おめでとうございます」
にっこり笑みを浮かべたものの、当人の反応は「他人行儀」と今回も不満げな反応をされる。
「部署が違うので」
負け犬の遠吠えにも、「確かにね」と苦笑されたので、ここで見苦しい発言は打ち止めにする。
彼がまたお酒を飲むとグラスの中の氷がカラン、と小さく揺れた。
ウイスキーをロックで嗜む彼に、ユリアさんが作ったものは今夜も同じだ。
ユリアさんいわく、かつての某ドラマで一躍有名となった英国スコットランドの銘柄が好みらしい。現在ではその醸造所も二軒となり、希少性はますます高まっているとか。
シンプルを好む彼はあまりカクテルを飲まないので、その分私がありがたく頂いているのだが。
こうして彼とともに好きな物を嗜みながら、人心地つけるこの時間は何者にも代え難い。——だからこそ、悲しむより慈しむ時でありたい。