蜜愛フラストレーション


動き始めた車の中、助手席の私は小さく息を吐く。その車内では静かにBGMが流れていた。

「懐かしい」

ポツリと呟けば、小さな笑い声が聞こえてきた。どうやら私の発言が曲のことだと察しているらしい。

「覚えてた?」

「“TAKE YOUR PICK”、でしょ?」

正面を見てハンドルを握る彼を見ながら口にすれば、正解だと頷いてくれる。

アメリカのジャズ界では有名なギター奏者と、日本を代表するロックバンドのギタリストが共作したこのアルバム。本作で彼らはグラミー賞も獲得している。

今流れる曲も軽やかなギターの旋律が心地よく、自然とリズムに乗ってしまう。

「久々にこれが聴きたくなってさ」

「……私も好きだよ。特にこの曲が」

「そっか。萌は覚えてない?ライブに行ったこと」

教えて貰ってジャズを聴くようになったあの頃、私はそんな些細なことでも彼に染まっていた。

リピートして聴くほどこのアルバムを気に入った私を、ブルーノートで行われたライブにも連れて行ってくれた。

当時はしゃいで騒ぐコンサートしか知らなかった分、純粋に音を楽しむ時間に感動したことさえ懐かしい。

「忘れるわけないよ。……あの頃は本当に好きだったから」

”もうずっと昔のことみたい”そう告げれば、運転する彼の精悍な横顔が強ばっていた。


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