山桜が散る頃は
それは、つまり幾年月
気がつけば。そう。
気が付けば私は、もうその美しい光景に捕らわれていた。
視界を横切る無数の薄桃色と音もなく揺れる屍の振り子。
人間と云う、生の終わり。
それが、私の記憶の始まりだった。
あれからもう、幾年月を過ごしたか。
地に深く差した根が、空を仰ぐ幹の数々が。
私がそこにあり続ける歳月を物語る。
ある時、ふと、私の手に布紐を垂らす者がいた。
私は、ただ漠然と眺めた。
そして、言い知れ得ぬ何かが私を激しく揺さぶった。
閉じる瞳の奥から頬を伝う雫に釘付けにされた。
私は、自分の知らない感覚に支配され、酔いしれた。
それからその支配は、私をそこに佇ませなかった。
新しく私の手に垂れた振り子を感じながら、私は、散りゆく花弁を眺めていた。
触れてみたいと思った。
ただ漠然と儚くも舞い散る花弁。
幾重かに重なる薄桃色。
美しいそれらに私の欲が高まった。
その瞬間だった。
一寸先に舞う花弁に、私は、触れた。
感じたことのない、圧倒的な空気の波と押し寄せる動悸。
じっと映す視界の中に、仄白い四肢がうずくまる。
私の。動く手足。
根差したモノでなく、足。
到底、振り子の垂れる事のない華奢な腕と手。
欲求がすぐさま私を駆り立てた。
薄く弱く、美しい花弁。
溢れんばかりのたおやかな香り。
そうなりたい。
こうありたい。
それを取り込もうと、私は、喰らった。
一片、一片と口へ運び、遂には、眺め続けた振り子に手を伸ばす。
もう、私を支配した麗しい雫は、干上がりきっているその瞼へ口を付けた。
何も感じずに、夢中で喰らう屍を私は、不意に眺めた。
私の四肢を塗りつぶす赤。
美しい。
私の歓喜を察したような穏やかな風が波打って、初めて私は、自分の頬に触れた。
ぬるりとした赤の匂いに、酔いしれる。
傍らに降り立った小鳥が、小刻みにこちらを伺いながら、心地よい声でさえずる。
小さくついばむような、耳障りの良い音。
暫く聴きいった後で、欲望が私を突き動かした。
奏でるその声を私は、欲したのだ。
『ぅあ、あー、嗚呼』
声が出た。
私の喉は、音を発した。
それから、私は、喰らいかけの屍に寄り添い、花弁に降られながら瞳が閉じるのを感じていた。