ベビーフェイスと甘い嘘

「奈緒美さん、帰って。前に言ったでしょ?ここには来ないでって」

その時、奈緒美ちゃんの怒りを孕んだ空気を切り裂くように、冷静な声が聞こえた。

いつの間に出て来たのか……スタッフルームにいたはずの九嶋くんが、店舗のほうへと戻って来ていた。


「九嶋くん……」

私をかばうように少しだけ前に立ち、まだ私を睨み付けている奈緒美ちゃんに冷ややかな視線を向ける。


「智晶ちゃん……ほんとにここにいたんだ。ずっと『still』で働いてると思ってた」


「……話聞いてる?帰れって言ってるんだよ」


「聞いてるよ。私がここに来たら、また辞めちゃうんだっけ?……でも今度は辞めないでしょう?茜さんがいるんだから」


その白い指が、真っ直ぐに私を指差した。


「ねぇ智晶ちゃん……どうして茜さんなの!?カナの……カナのことはもう忘れちゃったの!?」


「それってどの立場で言ってんの?あんたこそ何様だよ……何で叩いた?柏谷さんは関係ないだろ」


奈緒美ちゃんの剣幕に押される事なく、九嶋くんは冷静に言い放つ。


その目は、静かな怒りの色を含んでいた。


「関係あるからここまで来たの!茜さんも茜さんですよ!尊敬してたのに……こんなに最低な人だと思わなかった。旦那さんに悪いと思わないんですか?!いい年して、気持ち悪い!!」


奈緒美ちゃんが私に、軽蔑の眼差しを向けてきた。


だけど……どうして私にここまで怒っているの?


旦那さんに悪いと思わないのって?気持ち悪いなんて……どうして?
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