ベビーフェイスと甘い嘘
「…………もう一人……煙草も吸えないくせに、よくここから店の中を見てた人を知ってるよ」
戻ろうとした瞬間、源さんの呟くような声が聞こえてきた。
店のほうに身体を向けていたから、源さんの呟きが独り言のようにも聞こえて、一瞬返事をしようか迷ってしまった。
……私に話してる?
振り返ると、源さんはやっぱり私を見ていた。
その表情が思ったよりも真剣なものだったから、戸惑いながら返事をした。
「……そうなんですか?知らないうちに色んな人に見られてるもんですね。気を付けなくちゃ……って、源さんも……何だか顔色悪くないですか?」
よく見ると、いつもよりも少しだけ肌の血色が良くないように感じる。
「……あー、最近血圧がちょっと高いんだよなぁ。ま、無理はしないようにしてるから、大丈夫だ」
「そうやって大丈夫だって言ってる人のほうが危ないんですよ。……突然倒れないで下さいね」
帰りが遅くなっても、休みが取れなくても、倒れる直前まで『大丈夫、大丈夫』と言っていた父親の顔を思い出した。
「心配してくれてありがとう、茜ちゃん。……そうだなぁ、じーさんが倒れたくなったら、初ちゃんよりも茜ちゃんのほうに受け止めて欲しいなぁ。どーんと受け止めてくれるかい?」
源さんは、ニコニコと笑いながらそう言って……両手はしっかりと胸を押さえていた。
ーーだから、それはセクハラ!
「もう戻ります!こっちに倒れて来たって、絶っっ対に受け止めませんからね!!」
心配して損した!
ムッとしたまま足音も荒く店に戻った私を、初花ちゃんは不思議そうな顔で眺めていた。
源さんの呟きも、ベンチから見える『普段見えないもの』が私に関係あるのだという事も……
最後のセクハラ発言で全てかき消されてしまって、この時の私は全く気がつかなかった。