かまってくれてもいいですよ?
外に干したシーツから、ホワイトムスクの匂いが室内へと流れ込んできた。
 
新しい柔軟剤は、香水ほど匂いがキツくはなく、ほどよいクセのある甘みを含んでいた。
 
部屋中の戸締りを確認して、床に脱ぎ捨てられていたコートを拾い上げる。

パンパンと膝に叩きつけて皺と埃を落とすと、私はそれを羽織った。
 
一人暮らしを始めてからも、「行ってきます」という挨拶は続けていた。

いつまで経っても片付かない甘えた部屋に一礼をして、戸を閉め、鍵をかける。
 
1階にある屋根付きの駐輪場から自分の自転車を引っ張り出して、ギアを5から1へと変更すると、勢いを付けて漕ぎ出した。
 
急げば2限には間に合う時間だった。

折角家を出たのだから、1こまくらいは真面目に受けても良いかもしれない、と、やけに上から目線な気持であった。
 
大学の敷地内を自転車で突き抜けて、もう空きスペースのない駐輪場を通り過ぎると、学生寮の専用駐輪場に自転車を停めた。

文学史の講義が行われる校舎へと早足で向かう。

ピピピピと鳴り続ける携帯を無視して、私は観音開きの扉をギィと開けた。

その直後にチャイムが鳴り、教室前方の扉から教授が入って来た。
 
「一姫ちゃん、こっち」
 
天野先輩に手招きされて、私は教室後方の席へと座る。
 
「すみません、返信できなくて」
 
「大丈夫、ちゃんと名前書いておいたからね」
 
先輩は明るい口調でそう言ってから、思い出したように私を見上げた。
 
「来週の金曜日!参加してくれるよね?」
 
すっかり忘れていたことを話題に出され、私は頬を引き攣らせた。

「私、あまりお酒の場って得意じゃないから、遠慮したいって言うかァ……」
 
そう言いながらも、ハッキリと断ることはいつものことながらできなかった。

天野先輩からの直々のお誘いを断ることができるほど、私は偉い立場でもない。

人間関係に疎い私でも、先輩が学内でどういう立場であるかは理解しているつもりだ。

先輩から誘われることはとても光栄なことであり、それを断るということはとても失礼なことなのだろう。

「多分、私の知り合いいないと思うし、周りに気を遣わせるのも気が引けるっていうか、なんていうか」
 
口ごもる私の肩を天野先輩はポンポンと叩いて「空いているなら行こうね」と笑った。

「一姫ちゃんにとっては知らない人ばかりだけれど、一姫ちゃんのことを知っている人ばかりだから大丈夫。一姫ちゃん、軽く有名人だし」

「それは、先輩の七光りでですよ」

「謙遜しないの!一姫ちゃん、もう学祭の実行委員から話来てるでしょ?」
 
適当に流そうとしていた話だったけれど、先輩の言葉に私は顔を上げた。
 
「話って、なんでしたっけ…」
 
学祭について特に誰と話題にした記憶はなかった。

私が訊ねると、先輩は驚いたような顔をしてから「何でもない」と首を振った。
 
学祭の実行委員に参加している同級生とは特に仲が悪く、顔を合わせても挨拶をしたことは1度もなかった。

何か揉めたことがあるわけではないものの、互いに相性が悪かったのか、私たちが何かする前から不仲説は学年中に出回ってしまっていた。

それが余計に空気を気不味くさせてしまっていた。
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