異聞三國志
姜維は長安へ入城後、王平や関興に会い、伝えた。


『丞相は今、馬岱殿とともに涼州へ向かわれた。涼州は長安の背後の地であり、極めて重要な地であるからな。涼州出身でかの地で人望・人脈のある馬岱殿がおられれば、鎮圧も容易と言われてな。』
確かに、長安陥落を聞いて、雍州・涼州の諸郡は蜀の支配下に入った。


『我々は先にある要害の潼関に向かい、占拠して、関中を確保する。』


姜維・魏延は潼関に入り、そこを固く守った。

これで関中、つまりは潼関の地で山脈に隔てられた、西方の地は全て蜀の支配下となった。

蜀には飛躍の地を確保することになった。


一方 逃げ帰った司馬懿は洛陽の地で守備に就いていた。首都もギョウに引いて、蜀の侵攻に備えた。


一方呉も隙に乗じて、合肥と寿春の線までは前進したものの、如何せんそこから先には進めなかった。


しかし、魏にとっては両方とも天然の要害がなく、侵攻に常に晒される危険があった。
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