異聞三國志
諸葛亮は丞相府を長安まで前進させた。

前線都市に住みかを構えることは侵攻の危険があったが、諸葛亮の中原回復の強い意志を蜀全体に指し示す結果になった。


士郎は逆に成都へ戻った。関興を連れてである。左腕の手術をするためであった。


士郎が成都へ戻ると


『危ないことはしないって、言ってたのに・・・。』


と言いながら、理佐子が泣きながら、出てきた。


『馬鹿、何で無茶したのよ。』

理佐子は抱きついて、胸の中で泣いた。


その後ろから


『よお、また呼ぶとは。士郎の身勝手にも困ったもんだ。』


虞平であった。


やはり手術となると虞平の力は欠かせなかった。虞平は士郎に礼をした。中国式の組んだ両手を額の前まで挙げる礼であった。


こうして、また士郎は治療の日々になった。

しかし、これも次なる侵攻作戦の下準備に過ぎなかった。関興の治療もあくまでも、その一貫であった。

次の段階へと着々と準備は進んでいったのである。
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