異聞三國志
ところで士郎はといえば、成都で関興の手術を虞平とともに成功させたあとは、今でいうリハビリを成都でしていた。

矢じりが骨に残っていたので、骨を削って、それを取りだす手術であったが、無事に成功した。

機能回復訓練のおかげで関興もすっかり左腕が元通りになった。

そんな関興を連れて、長安へ行くことになった士郎。

今度はあまりに理佐子が心配するので、引っ越しという形になった。

そして、更には成都生活の間に産まれた一粒種の男子和も一緒に連れて行くことになった。


二人は、平和が訪れて欲しいとの願いから和と名付けたのである。ただ、あくまでも日本人としての子供としたい二人は「和男」という日本人名も考えていたのであった。


こうして、長安へ移住すると、すぐさま士郎は諸葛亮に、理佐子は黄月英から呼び出しを受けた。


二人とも、蜀の中原回復作戦に否応なしに巻き込まれていくのであった。
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