温もりを抱きしめて【完】
「要さん……」



個室へ戻ると、要さんはこちらに背を向けて座っていた。

私は一歩進んで中に入ると、部屋のドアをパタンと閉めた。

カクテルグラスを手に持った彼は、窓の外に広がる夜景を見つめるだけで何も喋らない。



「…いいんですか?」



私がそう尋ねると、要さんはゆっくりと振り向き、その瞳に私を映した。

普段あまり見慣れてない所為か、要さんに見つめられるとその視線をどうしていいのか分からなくなる。

だけど、今は逸らしちゃいけない。

そう思ってもう一歩足を踏み出した。



「…何がだ?」

「...婚約のことです。あんなに嫌がってたじゃないですか。それに、」



私はそこで言葉を区切り、色素の薄い茶色がかった要さんの瞳を見つめ返す。



「それに、大事な彼女だっていたのに……」




私がそういうと、要さんは「知ってたのか…」と呟いて目を逸らした。

しばらくグラスを回して黙っていたけれど。

中に入っているお酒をグイッと飲み干すと、そのグラスを見つめてこう言った。



「…アイツとは、ここへ来る前に別れてきた」


それを聞いて、思わず私の口からは「え…」と声が漏れた。


だって、……。


「別れたって、どうして……っ」


その質問を投げかけるのは、愚問だと分かっていた。

だけど、聞かずにはいられなかった。

あれだけ彼女のことを思って、婚約を拒んでいただろう彼なのに。

それが、なんで…。



「この1ヶ月程、親父の会社やパーティーに出席する機会が増えて…ウチの会社の現状が何となく見えてきた」




グラスに入った氷が、カランと音を立てた。

その音色がやけに響いて、耳から離れなかった。
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