温もりを抱きしめて【完】
遠ざかっていく要さんの背中。

その背中が見えてる間、私はグッと唇を噛み締めて、掌を強く握っていた。

だけど、彼の姿が見えなくなった途端。

堪えていた涙が頬を流れ、私は両手で顔を覆ってその場にしゃがみこんだ。



「......っ」



幸い周りには誰もいない。

だけど、声をあげて泣く訳にはいかなかった。



最後まで、要さんに『好き』とは伝えられなかった。

彼女との幸せを思えば、それは言っちゃいけないって分かってたから。



このまま何も言わなければ、私は要さんと一緒にいられた。

正式な婚約も結んだのだから、その内結婚だって出来ただろう。

彼が好きなら、そうするのが1番だった。

だけど彼の心内も、彼女の心内も誰が見たって明らかで。

それを無碍にして、踏み潰してまで要さんを手に入れたいとは思えなかった。



要さんが好き。

そんな彼だからこそ、心から幸せになって欲しいと思う。

そしてそれが出来るのは私じゃないと分かっている以上、もう要さんとは一緒にいられないと思った。



零れ落ちる涙を手の甲で拭って、私はかばんの中から携帯を取り出した。

ロックを解除して、アドレス帳から『東條夏希』の文字を探す。

表示された電話番号をタップして電話をかけると、プルルルと無機質な音が流れた。



「もしもし、夏希ちゃん?...私、伽耶」


受話器越しの夏希ちゃんは、少し涙声の私の事を不審に思ったに違いない。

心配そうに「どうしたの?」と尋ねる彼女に、私は頼みごとをお願いした。



「...あのね、要さんに教えてあげて?藤堂さんのお見合いのこと」



彼女は今日、婚約者との顔合わせがあると言っていた。

あの日の放課後、夏希ちゃんと話してる最中に。



『え?どういうこと?』


「私、要さんとの婚約破棄したから。...だからお願いね」



それだけ言うと、通話終了のボタンを押して携帯を胸元で握り締めた。

止まらない涙がこれ以上溢れてしまわぬよう、空を見上げる。

どこまで青い空は澄み渡り、悔しいくらい綺麗だった。



これでいい。

これでよかったんだ、と自分に言い聞かせて。

もう見えなくなった、彼を想った。
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