草花治療師の恋文
「マーガレット様、失礼致します。」
セイリンはノックをして扉を開けた。
「返事をする前に開けるなんて失礼よ?」
セイリンは一歩踏み込んで止まった。
マーガレットが失語してから半年。ノックのあとに返事がない事に慣れてしまっていたのだ。
「失礼致しました!」
セイリンは慌てて部屋から出ようとした。
「嘘よ嘘!セイ、入って。」
マーガレットは苦笑いしながらセイリンを呼んだ。
「はっ…。すみません。」
セイリンは深く頭を下げて部屋に入った。
部屋に入ると、入浴をしてさっぱりしたマーガレットが椅子に座っていた。
「改めて…おはよう、セイリン。」
窓から陽射しが差し込み、日向の中で笑うマーガレット。
「おはようございます、マーガレット様。」
久しぶりにマーガレットと交わす言葉の挨拶は、今までよりも特別で…。
セイリンは込み上げるものを押し込めた。
「お父様にも…挨拶をしなくちゃ。」
「では、先にクライツに伝えしてまいります。それまではお部屋でお待ち下さい。」
セイリンは当主付き執事のクライツに声をかけ、クライツからライザへ、マーガレットの事を伝えてもらうように手配しようとした。
しかし…。
「ううん!驚かせたいから内緒にしてて?」
「ええ?」
内緒になんて、そんな重大なことを一執事のセイリンができるはずがない。
「いや…それは…」
セイリンが困惑していると、
「わかったわ!じゃあ今すぐご挨拶に行ってくるわ!」
「えっ⁉︎」
マーガレットはタタッと駆け出すと、驚くセイリンの横を通り過ぎて廊下に飛び出した。
「ちょっ…!マーガレット様⁉︎」
「今すぐなら、内緒にならないわ!」
マーガレットはそう言うと、ライザの部屋まで走った。
セイリンは慌ててマーガレットのあとを追いかけた。
ライザの部屋が近付き、マーガレットがライザの部屋の前に着く直前、扉が開いてライザが出てきた。
(ゴンッ‼︎)
マーガレットは止まり切れず、開いた扉で頭をぶつけてその場に倒れた。
ライザは何事かと扉の後ろを覗いた。
「マーガレット様‼︎」
頭をぶつけた姿を少し離れた場所で目撃したセイリンは、大慌てでマーガレットに駆け寄った。
ライザは両手で頭を押さえているマーガレットを見て血の気が引いたように見えた。
「マーガレット‼︎大丈夫か⁉︎」
冷静さを欠いたライザの姿は珍しい。
普段はマーガレットに対して冷静な対応しかしないが、娘への想いは強い人だ。
「うぅ…だ…大丈夫ですわ、お父様。」
マーガレットが返事をしたのを聞いて、ライザがホッとしたのがセイリンにもわかった。
ホッとして、ライザはふと気が付いたようだった。
「マーガレット…声が…。」
マーガレットは思い出したのか、スッと立ち上がり、ライザの前で会釈した。
「おはようございます、お父様。」
頭を上げたマーガレットは、頭をぶつけて涙目にはなっていたが顔は笑顔だった。
その姿を見て、ライザは少し頬を赤らめ、少し困惑したように見えたが、反応はいつものライザに戻っていた。
「おはよう。廊下は走らないようにしなさい。」
「はい!でも、おかげで頭をぶつけて声が出るようになりましたわ!」
マーガレットは、今頭をぶつけた衝撃で失語症が治ったとアピールした。
その言葉にセイリンは驚いたが、あえてなにも言わなかった。
言えなかったのだ。
半年前なら、ライザの言葉に表情を暗くしていたマーガレットだったが、今日のマーガレットは違った。
「…今ので声が?」
「はい!初めから頭をぶつけたらよかった。」
「何を馬鹿なことを…」
マーガレットの発言に呆れたという表情をみせた。
ただ、そこには父親の優しさも入り交じった穏やかな顔だった。
それを見たマーガレットはニコッと笑い、もう一度ライザに会釈をしセイリンと一緒に部屋に戻った。
「マーガレット様…。よろしいのですか?」
「いいの。」
セイリンはライザの姿が見えなくなったところで声をかけた。
発語できるようになったのは、頭をぶつけた衝撃ではないのは確かだ。
きっとライザもそれは気付いているだろう。
ただ、本当のきっかけもハッキリとはせず、セイリンはマーガレットに確認をしたかったが…。
マーガレットの触れてはいけない記憶に触れるのを恐れた。
部屋に戻って、マーガレットはお腹が空いたと言い椅子に座った。
「では、お食事を早めるよう伝えてまいりますね。」
セイリンが部屋を出ようとした時、
「今日からお薬は飲まなくていいのよね?」
マーガレットが聞いてきた。
セイリンは振り返りマーガレットを見た。
その表情は先程の笑顔とは裏腹に、曇って暗く感じた。
「確認いたしますね。」
こくんとマーガレットは頷いた。
セイリンはその姿を見て部屋を出た。
(やはり薬か…)
昨夜の薬は、来客の対応をしていたためセイリンではなく他の使用人がマーガレットの元に運んだ。
セイリンはいつも目の前で服用確認をしていたが、昨夜は渡しただけで確認はしていなかったのだろう。
(飲まなかったんだな…)
恐らくマーガレットは昨夜の薬は飲まず、夜中に症状が出たのだ。
ライザにはその事がバレないように、先程のような嘘をついたのだ。
しかし言葉は戻ったが、失語する原因になった記憶が戻ったのかはわからない。
確認をして、またショックで言葉を無くしたらと思うと怖くて聞けない。
セイリンは迷いに迷ったが…。
「うん…。今はこれでいい。」
いずれこの事に触れる日か来るだろうが、今は言葉と笑顔が戻ったからよしとする事にした。
この日から誰もパーティの日のことは触れず、マーガレットに言葉と笑顔のある日常が戻った。