心の中を開く鍵
「私、なにも言わずに彼の前から消えましたので。再会したから話がしたいんだと思います」

言い合いを始めそうな二人に割って入ると、とても複雑そうな主任の視線が向けられた。

「人ひとり消えるのは、生半可なことではないですが」

「結構簡単でしたよ。家を引き払って引越しして。携帯電話解約して、新規でスマホにして。すぐに会社の研修に入りましたし、共通の知人はいましたが、共通の友人はいませんでしたし」

指折り数えながら、頷く。

私はSNSも利用しないし。これだけでもかなり大勢の人たちと音信不通にできた。

「大学には実家の住所で同窓会名簿を記載してもらいましたし、そもそもどこに就職するのか、誰にも教えませんでしたし……あ。事務局には伝えましたが、個人情報をホイホイ教えるような事務局では無いでしょうし、調べようもありません」

そこまで淡々と言ったところで、主任はぼんやりと、でもどこか呆れたように頷いた。

「……それは徹底してますねぇ」

「大学時代は、私の側に立って話をするような人はいませんでしたから。それに人を隠すには人の中でしょう」

苦笑を返すと、唐沢さんが頷いた。

「確かにね。それだけ情報がない上に、プロでも辟易するのは、都会の人探しって聞くしね」

「まぁ、実家の地域くらいは教えてますが、実家の連絡先なんて、彼に教えた事もないですし」

そう考えると、本当に会話のない二人だったんだな。

しみじみ思いながら肩を竦めてみせる。

「だから、消えた人と再会したら、話をしたいって言う気持ちは解らないでもないです。なので、とりあえず構わないで貰えれば嬉しいと思います」

締め括ると、唐沢さんは微妙に懐疑的な表情を浮かべ、それから持っていたペンでデスクを叩いた。

「昔の話をしたいって言うより、高崎さんは“今”言い寄ってきそうな雰囲気がありありだったけれどね」

「まぁ。口説くつもりらしいですが」

あっさりと白状すると、唐沢さんはペンを取り落として目を丸くした。

「口説かれそう?」

「まさか。昔の話ですよ」

そう。昔“好きだった”人。

どういう“彼氏”だったか知っている今は、どうこうなりようがないでしょう。
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