その手が暖かくて、優しくて
大田原は暗い階段を足元に注意しながら上っていた。
「あいつ…この前も半日メッセージ返して来なかったし、最近、俺をなめてやがる…まさか見張りをサボって寝てんじゃねーだろな!今日はきっちりヤキ入れてやる!」

そんなことを考えながら、権三は4階にたどり着いたが、そこにいるはずの見張りがいない。

「あいつ…どこ行ったんだ…」そう呟きながら階段を上り切って廊下に出た権三は、その奇妙な静けさに
「なんか…妙だな…」
彼の野生の勘が働いた。

これまで、そこそこ修羅場を踏んできた権三は

(ここで何かあったか?いや…いま現在、何か起きてる?)

本能的に、そんな空気を感じとったのだ。

権三は警戒しながら、暗い廊下をゆっくりと進んだ。

すると、
廊下の先に人影らしいものが見えた。

「誰だ!」権三が叫んだ。




当然、その人影は亜里沙だった。
(やばいよ~見つかっちゃった!)

しかし、権三は、その人影を見て驚いた。

深夜の暗い廊下の先の人影は「ネコ耳の女の子」

権三の脳裏に、その日の夕刻に彼が読んだ携帯小説が甦る。

「み…美音ちゃん…?」

一方、亜里沙は完全にテンパっていた。
(やばい!やばい!やばい!どーしよ!)

焦った亜里沙は、とりあえず…

「ご…ごめんなさい!」

謝ってみた。


しかし、その一言が権三の、ややこしいスイッチを入れてしまうことになる。




「ごめんね…修…」




権三の頭の中には悲しいラブストーリーの感動のラストシーンが再現されていた。わずか数時間前まで、その世界にどっぷりと浸かり、目が腫れるほど泣いた場面である。
思わず、権三は叫んだ。

「い…行くな!美音!」


(え!何言ってんの?)
対する亜里沙は、そんな事情など知るわけもないので、困惑するばかり。

さらに、一歩、一歩、亜里沙に歩み寄ってくる権三に

「いや!来ないで!」
亜里沙は思わず、そう叫んでしまったが、

感動の恋愛小説の世界に入ってしまっている権三の頭のなかでは

「ダメ!来ないで!だって…アタシに近づくと、また修に良くないことが起きちゃうよ…」

「ごめんね…本当にごめんね…修、さよなら…」

暗闇に包まれる廊下の先で、美音の悲しい声が響いている…

そんな涙のラストシーンが…。

胸にこみ上げてくる感動の渦が収まらず、権三は溢れる涙を堪えることができなくなっていた。

暗くて、相手の表情は見えないが、その大男が、なぜか、泣いていることだけ分かった亜里沙は

(なんだか…違う意味で、やばいひとかも…)

これは…逃げなきゃ!

そう思った亜里沙は近づいてくる権三の反対側に向かって駆け出した。

「待ってくれ!美音!」

亜里沙を追ってきた権三に腕を掴まれ、振り返った亜里沙と権三は一瞬、目が合った。

生徒会長選挙に立候補した亜里沙について、名前は知っていたが、顔を知らなかった権三は、相変わらずネコ耳の亜里沙を「美音ちゃん」と呼び、
亜里沙は
(うわ!顔でかっ!)…と思った。

そのとき、
佐藤が出した彼の足につまずいた権三は倒れ、顔面を廊下の床に打って気を失ってしまった。

なんだか、よく分からないまま、亜里沙の能天気な「ネコ耳」が幸いして、深夜の大作戦は成功したのだ。


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