すきとおるし
三年前のことだった。健康だけが取り柄だった祖父が初めて健康診断に引っ掛かり、再検査をすることになった。再検査では原因が見つからず、病院を転々とし、検査に検査を重ね、ようやくついた病名は胃癌。癌はすでに肝臓に転移していて、余命はほとんど残っていなかった。抗がん剤や放射線治療で散々苦しみながらできるだけ余命を伸ばしたが、手遅れなことに変わりはなく。近所の小さな病院で痛み止めの薬をもらいながら、最期の時を自宅で過ごすことになった。
夏も終わりに近付いたある日、病院で薬をもらって帰ると、祖父の様子がおかしかった。苦しそうに呼吸をし、目も虚ろ。慌てて病院に電話をし、先生が来るのを待った。その間、祖父の浅く短い呼吸が次第に減っていった。十秒に一回、二十秒に一回、三十秒に一回……。かはかはと苦しそうな呼吸の間隔はどんどん長くなり、そして静かに、止まった。止まっていた、と言ったほうが正しいかもしれない。
衝撃的な光景だった。目の前で人が死んだ。祖父はもう動かないし、喋らないし、呼吸もしない。そう思うと涙が溢れて、うわーんと大声を出して泣いた。その時見た光景は、三年が経とうとしている今でも瞼の裏に焼き付いて、昨日のことのように思い出せるのに。それなのに。
「不謹慎なことを言うとね、ゆん。花織が死んでも何も感じないの。二年前からずっとそう。友だちが死んだっていうのに涙も出ない」
「そりゃあ、じいさんと友だちじゃ違うだろうよ」
ゆんはそう言いながら、わたしの頭にぽんと手を置いた。
「でも人が死んだことに代わりはない」
「まさかおまえ、それをずっと気にして……」
視線を反らすと、次に聞こえてきたのはため息だった。
「仕方ないことだろ。事故だった。飛び出してきた猫を避けようとしたなんて、優しい花織らしいじゃねぇか」
「仕方ないって、最初から思えた?」
聞くとゆんはわたしの頭に置いた手を退け、少し考えてから「いや」と呟く。
「正直意味が分からなかった。ついこの間まで普通に喋ってたやつが死んだなんて。今まで家族も親戚も友だちも、俺の周りで死んだやつは一人もいなかった」
「でも受け入れた?」
「実際遺影を見て墓参りして、オフラインのままのスカイプ画面を見たらな」
「そう……」
「おまえはまだ、受け入れてないんだな」
この質問に、わたしは答えられなかった。花織は死んだと頭では理解している。でも、その実感はない。だから返答は、イエスでありノーでもある。
恐らくその原因は、わたしたちがインターネット上で出会い、そこでの関わりしかなかったからだ。本名も顔も知らない。ハンドルネームで呼び合い、それに慣れてしまったから「花織」と「次郎」が一致しない。「ゆん」と「優輔」もそうだ。それが大きな違和感を生む。
どれだけ毎日話して笑い合っていても、現実の姿を知らなければ、その繋がりは果てしなく薄いのだ。