「先生、それは愛だと思います。」完

「……文ちゃんのお母さんの愛情を目の当たりにしたら、文ちゃんを本当に幸せにできるか不安になった」
「……え、もしかしてあの事故の時ですか……?」
「俺は何も未来を約束できないし、それなのに文ちゃんと一緒にいたいなんて、文ちゃんのお母さんに顔向けできないと思った」
……ぽつりぽつりと語られていく、先生の本音を聞き逃さないように、私はしっかりと先生を抱きしめ返した。
「俺の家は少し複雑で、今はもう離婚したんだけど、文ちゃんの家のような温かさは一切なかった。家庭環境が違いすぎる俺が、たとえ文ちゃんと結婚したとして、そんな温かい雰囲気を作れるはずがないと思った」
「そんなこと、思ってたんですか……?」

知らなかった。先生がそんな風に自分を追いつめていたなんて、全然知らなかった。
だって先生はいつも冷静で、余裕があって、賢くて、大人で。
何かに悩んだりしているようには見えなかったし、その悩みを見せようとはしていなかったから。誰にも。

「文ちゃんには、温かい空気がよく似合う。俺みたいな厄介な人間じゃなくて、もっと素直で実直な人に、文ちゃんは守られたほうがいい。そういう人に出会ってほしいと思った……」
「だから、お守りをくれたんですか……?」
「……文ちゃんが、そういう人と出会えるまで、守ってくれるように……俺はもうそばにいてあげられないから……そう思ったから」

……先生の声が、掠れていくほどに、胸が千切れそうなほど切なくなった。

先生、私に別れを告げるとき、一体どれだけ苦しい思いをしたのですか。
あの無表情の仮面の下に、どれだけの孤独と悲しみを抱いて、私を突き放したのですか。
私の幸せだけを願って、全部ひとりで背負おうとしていたのですか。

じゃあ、先生はいったい誰が幸せにするというの。
この人はどうしてこんなに自分の幸せに欲がないんだろう。

そんなの、私、許さないですよ、先生。
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