Change the voice
プロローグ
――――キスすると声が聴けなくなっちゃう――――。


互いの吐息が重なった、あの奇跡の一夜からもうすぐ一年。

ぼんやりと片手で指折り数える。


「何数えてんだ?」


無遠慮にどっかりと目の前で紫煙をくゆらせているのは、恩人でもあり、事務所の先輩でもある多岐川新さん。
声という身体の一部を商売道具にしている業界の割りに、喫煙者が多いというのがどうにも腑に落ちないが、気にしない体で正直に答える。


「付き合い始めてから、彼女とデートした回数ですよ」

「やめとけ、やめとけ。そんなもん数えたって空しくなるだけだぞ。あっちはカタギな商売、こっちはヤクザな商売」

「多岐川さん、今すごいことさらっと言いましたね」

「経験者は語るってね」


言いながら、胸から取り出した携帯灰皿に煙草を押し込む。

わざわざオープンにはされていないが、多岐川さんは今でこそ同じ声優の方と結婚しているが、前の奥さんは幼馴染みで小学校の先生をされていた。
前の奥さんとの間には小学生の娘さんもいる。
すれ違いの生活と、互いの仕事への見解が上手く行かず、双方合意の上別れたんだそうだ。

俺が大手広告代理店に勤める彼女と付き合うことになったと報告したときに、打ち明けられたことだ。


「まあ、お前の彼女はもともとお前のファンだろう?仕事で忙しくしてる分にはむしろ喜ばれてるんじゃないのか?」

「すんごい喜んでますよ。それこそ俺抜きでね」


子供っぽいのは重々承知で拗ねて見せる。
多岐川さんは眉根を寄せて笑いながら、ぽんぽんと俺の頭を叩いた。


「本当に昔から贅沢なヤツだな、お前は」



(――――贅沢なヤツだな)



多岐川さんに初めて会った日も同じことを言われたっけ……。


そうして俺は、劇団を転々としていた不確かな時代を思い出していた。

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