まさかの婚活
まさかの御曹司 1

 翌日、カメラマンと一緒に、お城のような新校舎を訪ねた。受付で取材の旨を伝えると校長室に案内された。

 ホテルのスウィートのような明るい広い部屋。

 家具、調度品、まるで中世ヨーロッパを想わせる。これでベッドさえあれば泊まれそうだ。いや、このソファーでも、ゆったり眠れそうなくらい。

 これは蓮のお母さまでもある校長のご趣味? 美容界をリードする学園の殿堂には相応しいのかも。

 上品なソファーに座って待っていると、すぐに美しい秘書らしき女性が、お茶を持って現れた。出されたのはレモンティー。ウェッジウッドのプシュケのカップ&ソーサーで。一組でも一万円以上はするだろう。中の紅茶もウェッジウッドかしら……。

 こんな高級な紅茶を普通に飲んでた蓮の生活。

 やっぱり改めて育ちの違いを思い知る。蓮は私には手の届かない世界の人なのだと。すると

「お待たせして、ごめんなさい」

 華やかな声。蓮のお母さま、やっぱりお綺麗だと思った。もう六十代にはなられるはず……。さすが美容界の女王、お若いし美しい。

 続いて蓮が入って来た。私だと気付くとニコッと微笑んだ。上品なスーツに身を包んだ蓮を見るのは二度目。会社にスマホを届けてもらって以来……。

 ソファーから立ち上がっていた私とカメラマンは
「本日は、よろしくお願いいたします」
 と名刺を差し出す。

「さぁ、お掛けになって」
 と美しいお母さま。

「先に写真を撮らせていただいてよろしいでしょうか?」
 とのカメラマンの申し出に

「きょうは私の写真は載せてくださらなくて結構よ。いずれここを任せるつもりの蓮を撮ってあげてね」

 一通りのインタビューを終えてカメラマンは

「きょうは、ありがとうございました。とても良い写真が撮れました。申し訳ありません。次の予定がありますので、これで失礼致します」

「こちらこそ、ありがとうございました」と蓮。

「学校の外観の写真を撮らせていただきますが、よろしいですか?」

「もちろんですわ。きれいに撮ってくださいね」
 と蓮のママ。

「じゃあ私も」
 と帰り支度を始めようとすると

「急ぎの予定でもあるんですか?」
 と蓮に聞かれた。

「いえ、そういう訳では……」

「じゃあ、もう少し聞いていただきたい事があります。お時間さえあればですが」

 次の仕事があると言えばよかったと激しく後悔……。

「何なの? 蓮、まだ話し足りない事でもあったのかしら? あなたのこの仕事に懸ける情熱は記者さんに十分に伝わったと思うけど」

「はい。それはとてもよく分かりました。良い記事を書かせていただけると思います」

「プライベートな事を聞いていただきたいと思って」
 と蓮は言った。

「プライベートって子供の頃の事とか、そういうお話?」と蓮ママ。

「僕は母さんの二男として、この世に生を受けた。美容家 江崎啓子の息子として。それは自分では選べなかった。美容師になるのも当然だったし、自然の成り行きでもあった。僕はそれが決して嫌だった訳じゃない。人を美しくする仕事に誇りを持っていたし、好きだった。だから母さんの店ではなく青山の店での修行も、きっと意味のある事だと思ったし、それはそれで楽しくもあった」

「ええ。そう言ってくれると母さん嬉しいわ」

「みんなが仕事が終わって遊びに行っても、僕は毎日、最後まで店に残って練習したよ。腕を磨く事が僕の使命だと思っていたし、一日も早く世間から認められる美容師になりたかった。それが僕の生き甲斐でもあった。辛いことだって、たくさんあったけど、そんな事は、もう忘れたよ。青山のカリスマと呼ばれるようになって、やっと美容師として認められたと思った」

「そうね。蓮は本当に良く頑張ったと思っているわよ」

「そんな時、母さんに帰って来るよう言われた。ここで美容師を目指す学生に教える立場になれと。兄さんは父さんに付いて経営を任されて、僕は母さんに付いて、いずれ学園を任される。それも僕の進むべき道だと思ってるよ。だけど僕だって自由な意志を持った一人の男だよ。仕事以外の事は、たとえ母さんにだって命令される気はない」

「蓮、それはどういう事? 何が気にいらないの?」
 蓮の話をそれまでにこやかに頷きながら聞いていたお母さまの顔色が変わった。

 蓮は華やかオーラ全開のお母さまの方に向き直って、穏やかに、でも強固な決心を秘めた瞳で
「僕の人生のパートナーは自分で決める」

「蓮、あなた好きな人でもいるの?」

「いるよ。この前、話しただろう。会って欲しい人が居るって」

「それで青山の店を辞めた後、家にも帰らず、いったいどこで何をしていたの?」

「婚活してたんだ。結婚しようと決めた人の所で」

「婚活? それはどんな人、どこの誰なの?」

「紹介するよ。牧 碧さん。僕が結婚すると決めた女性だ」

 蓮のお母さまは、さっき渡した名刺と私の顔を何度も何度も見比べていた。驚いて声も出せない様子で……。

 私はこの状況に、ただ俯くしかなかった。何でこんな時に、私、心の準備だって……。

 だいたい、まだ結婚するなんて返事してない。さっきからの二人の話だって、もう居た堪れなくて、どうしていいのか……。

 お母さまは大きく深呼吸をしてから
「牧 碧さん? あなたが?」
 と見詰められる。その視線に優しさは少しも感じられなかった……。
「蓮が半年もお世話になったのね?」

「あっ、いいえ、そんなことは……あのう……」
 しどろもどろって、こういう時のことなんだと何だか人ごとのように思っていた。

「僕が勝手に押しかけたんだよ。碧は行くところのない僕を置いてくれたんだ」
 蓮はあくまでも優しく説明してくれた。

 プチッと美しいお母さまの血管が切れる音を聞いたような気がした……。

「行くところのない? そんな嘘まで吐いて、どういうつもりなの?」

「だから、碧と結婚するつもりだよ」


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