そこにアルのに見えないモノ
Baron
「カオルちゃん、そろそろ終おうか」
「は~い」
「夜、冷えて来たな。ここはいいから、もう上がっていいよ」
「はい。それでは、お疲れ様でした。おやすみなさい」
「お疲れ、おやすみ。気をつけて帰るんだよ。
何かあったら電話、解ってるね?」
「はい、気をつけます」
「ん」
店の裏に行き、着替えないまま薄いコートを取り出し羽織った。今夜も“通常業務”を終え、私はアパートへと足取りを早めた。
夜中だけど静寂とはまだほど遠い。
喧騒の中を歩く靴音がコツコツと響きながら紛れて消えていく。時間帯、場所を考えると、充分気をつけて帰宅しなければならない。
私は普通の会社の普通の事務員。
下がる事も無いが、昇給も期待出来ないお給料。贅沢をせず派手にしなければ充分暮らしていけるだけはある。
夜のお仕事をしているのには、それなりの理由があるからだ。
父親の残した借金だ。莫大という訳では無いが、かといって簡単な金額でもない。普通の事務員の給料では到底返していけない無理な額。
当たり前だが、借りたものは返さなければ減らない。
会社の人には当然内緒で働いている。二十歳になるまでは利息だけをなんとか払い続けた。
何か…高額な収入…。そう思って仕事を探した。……夜の仕事、夜出来る仕事は無いだろうかと。
当てがある訳じゃない。ただフラフラと探していたところを、今のお店【スナックBaron】のマスターが声を掛けてくれた。
それが五年前の事だ。