あなたはわるい人ですか?
第一声がお互い見つからずに、思わず見つめあってしまった。虫も殺さないような顔。



「すみません、顔色が悪かったので」

「いいえ、こちらこそ……。ごめんなさい、映画観てたのに」

「いいんです。そんなに興味があったわけではないので」



興味があったわけではない? 一人で来ていたのに?

そんな疑問が降って湧いたものの、申し訳なさと気まずさでとても訊けない。



「……やっぱり顔色よくないですね。どこかカフェでも入って休みますか?」



なんて親切な人なんだろう、と思った半面、私は頷きながらこうも思った。
こうして声をかけてくれた優しいこの人に、とんでもない裏の顔があるとしたら。想像もつかないような残酷な一面があるとしたら。誰も彼もこの善良な顔に騙されているんだとしたら、どうする?

そこから生まれる果てしない好奇心。




その夜、私は家に着くなり久しぶりに小説を書き始めた。それは、今日出会った男性―――名前は久瀬さんというらしい―――が登場する、私の、初めての、サスペンス小説。

久瀬さんは人畜無害な顔でまっとうに社会生活を営み、みんなから好かれている。親切で、嫌味がなくて、職場の人からも友人からも、近所のおばあさんからも絶対の信頼を寄せられている。でもそんな久瀬さんには不可解な行動がいくつもあって……。



想像力を総動員して書いたそれは、読み返してみるとなかなかに不気味で、こんなことが現実になったらどうしよう、と私自身を不安にさせた。



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