落ちてきた天使
「あいつは娘が生まれると人が変わった。それまでは結婚しても母さんのことを一番大切にしてたのに、娘を溺愛するあまり母さんをあっさり捨てたんだ。母さんは絶望した。いっそのこと消えてしまおうかとも思ったらしい。でも、そんな時母さんの妊娠が発覚した」



「まさか…」と、咄嗟に皐月を見遣る。
そのまさかだ、と言わんばかりに皐月はふっと笑った。



「母さんは一人で産んで育てる決心をした。あいつに何も言わずにこの街に移り住んで俺を産んで……朝も夜も寝る間を惜しんで働いて育ててくれたんだ」



お母さんの話をする時、皐月の表情はいくらか和らいだ。

だけど、慈しむような瞳が度々ゆらりと悲しげに揺れるのを私は見逃さなかった。



「優しい人だった。いつも笑顔で……あいつの悪口なんて一つも言わなくて。自分を捨てた男なのに、あなたのお父さんは凄い人なんだ……勇敢で、責任感が強くて。国民が幸せに暮らしていけるように、国のために働いてるんだって」



皐月の声が篭る。
私の手を握る力が強くなり、そして震えていた。



「俺が高二の時、母さんは死んだ……無理し過ぎたんだ。もともと身体が弱い人だったから」

「っ……」

「国のために働く立派な父親じゃなくていい……普通の父親が欲しかった」



皐月の手にポタッと雫が落ちた。

こんな時でも私は何も言えなくて、ただ皐月の濡れた手をもう片方の手で包み込むしか出来なかった。


鼻を啜る皐月。はぁ、と息を吐くと、わざと明るく振舞うように口の端を上げた。



「高二だったら一人暮らししてるやつはしてるだろ。俺も施設に入らずに住んでたアパートで暮らしていこうと思ってたんだけど、家賃を頻繁に滞納してたらしくてさ。俺も未成年だし。アパート出されることになって、途方に暮れてる所を施設長に拾われたんだ。なんか母さんと面識があったみたいで気に掛けてくれてたらしくてさ」

「……そう、だったんだね」




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