落ちてきた天使
「彩」と皐月が柔らかな声で呼ぶ。


どうしよう…
名前を呼ばれただけなのに胸が嬉しくて震えてる。


もう私を呼び捨てにする人はいない。
だから余計かもしれない。



ゆっくりと顔を上げる。


そこには悪戯っ子のような笑みを浮かべた皐月が人差し指を私に向けていて。



「っっ痛‼︎」



私が顔を上げきる前に額をピンッと弾かれた。



「も〜う!何よ!」

「半べそかいてるからだろ」



そう言って、ニヒヒと笑う皐月。



「半べそなんてかいてませんっ」



べぇーっと舌先を出して言うと、皐月はぷっと吹き出して笑った。



あーあ。完敗だ。


完全に皐月のペース。上手く乗せられてしまった。


私が顔を上げやすいようにしてくれたんだ。


そのお陰で少しも気まずくならなかったし、自然と笑えた。


悔しいな…皐月には全部お見通しで。


だけど、それまでもが嬉しく思えてならない。




淡い太陽の光が食卓に差し込む。


珈琲とパンの絶妙な香りが気持ちをほっこりさせ。


リビングには私と皐月の笑い声。


穏やかな時間が流れていた。








この時の私は、決意を忘れ。


この先幸せになれるだろうと、何の根拠もない不確かな自信にただ踊らされていた。








ーーー浅はかだった。


もし、私が決意を忘れなければ。


もし、時間を巻き戻せるなら。




私は、皐月の前から姿を消したのに…






< 61 / 286 >

この作品をシェア

pagetop