落ちてきた天使
「はぁはぁはぁ…っ、」



息が苦しい……
熱いっ、怖いっ……


誰か、助けて……



両手で耳を塞ぐ。


ガンッと背中に冷蔵庫が当たって、私はその場にズルズルと座り込んだ。



「おいっ!彩⁉︎大丈夫か⁉︎」



いつの間にか私の元へ来ていた皐月が両肩に手を置いた。


微かに皐月の声が聞こえる気がするけど、それは耳に今も残るつんざくような業火の音にかき消された。


今はもう火事の中にいるわけないのに、私の五感がその時の記憶を呼び覚ます。


視界には倒れて来た柱と炎。


その隙間から見えるお父さんとお母さんの笑顔が映っていて、時折灰色の煙が二人を隠す。


焦げた匂いが嗅覚を麻痺させ、そこにいるだけで重度の火傷を負いそうなほどの熱を肌に感じた。



「嫌……助けて…お父さんとお母さんを……」



後悔と絶望、色んなものが涙となって頬を伝う。



どうして私だけ助けたの…


どうして私だけ助かっちゃったの……



「どうして…私は生きてるの……っ」



お母さんが声にならない声で私を呼び、お父さんが娘を先に助けてと必死で叫ぶ。


二人の方が熱くて痛くて怖いはずなのに……


そんな様子一つ見せずに、笑顔で私の幸せを願ってくれる。



どれぐらい苦しかっただろう。


どれぐらい寂しかっただろう。


どれぐらい泣いただろう。


火の海に飲まれながら、二人はーーー。



あの惨状が脳裏に焼き付いて離れない。



闇に押し潰されそうになった時、記憶とは関係のない、何処か安心するような何かが私を包み込んだ。



「彩」



何度も聞いた事がある優しい声が聞こえる。


骨張った大きな腕が私を抱き締めて、人の体温を肌に感じて。


ふわっと微かに鼻を掠めるのは、柔軟剤の爽やかな香りだ。


視界は徐々にクリアになっていき、コシのある黒髪とキッチンが鮮明に見えた。



「さ、つき…?」



まだ少し混乱してる。


記憶と現実。過去と現在。
私が今いる所は……


さっきまで目の前に広がっていた火事の映像が幻だったんだと、気付くのに時間が掛かった。




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