その愛の終わりに
最後のページを読み終えて、美都子は深い感嘆のため息を漏らした。
なんと哀しく、美しい物語であったことか。
イワン・ツェルゲーネフの初恋は、美都子の心に一時的な安らぎを与えた。
特に印象に残ったのは、ヒロインの台詞だ。
“私が見下さなければならないような男には興味ないの。私は、私を服従させるような男が好きだわ”
口に出して読んでみる。
あまりに自分に似合わないため、美都子は自虐的に笑った。
女学校を卒業しても数年ほど、嫁の貰い手がなかった自分がこんなことを言っても滑稽なだけである。
本を棚に仕舞おうとし、ふと美都子は新たな見方に気がついた。
(いいえ、私は今まで選んでいたのかもしれないわ。選ばれる立場の女であるにも関わらず、気に入らない相手には嫌われるよう仕向けてきた……)
特別美人というわけではなかったから、卒業まで縁談が来ることはなかった。
縁談が来ても、相手の人となりに引っかかるものを感じたら、なるべく嫌われるよう努力したものだ。
(まあ、そのおかげで最高の夫を手に入れることが出来たのだけれど)
「奥様、旦那様がお帰りです」
女中の声のおかげで、夢の世界から現実に引き戻される。
本を読んだあとはしばらく夢想に浸る癖がある美都子は、この女中の一声にいつも感謝していた。
「今行くわ」
洋風趣味の夫に合わせて、美都子は嫁いでからの生活様式の中でも、特に衣服に気を配っていた。
今日も、クリーム色のワンピースにカメオのブローチといった出で立ちである。
玄関まで出迎えに行けば、しばらくもしないうちに夫の義直が帰ってきた。
「ただいま」
「おかえりなさいませ」
貿易商の夫の手には、長い航海から帰ってくるたびに美都子への土産がぶらさがっていた。
とはいえ、今日は一段と土産の数が多い。
「美都子、家のことに何か変わりは?」
「ありません。強いて言うなら、あなたが居なくて活気がなかったくらい」
小首をかしげてそう言えば、義直は一瞬眉を吊り上げ、そして愉快そうに笑った。
「君って娘は本当に……女の癖に口説き文句の出来が良い」
「お気に召しませんか?」
そんなことはない、と確信しつつ、いけしゃあしゃあと美都子は尋ねる。
そして予想通り、義直は上機嫌で美都子を寝室に引っ張りこんだ。