その愛の終わりに
「奥様、奥様!」
何度も呼び掛けたらしい女中の声は、やや掠れていた。
反射的に振り向くけば、ようやく反応した主人に女中が胸を撫で下ろした。
「なにかご心配なことでもおありで?読書の後でもないのにボーッとしていらっしゃいましたから、心配です」
「なんだか眠たくて」
咄嗟に口をついて出たのは真っ赤な嘘だった。
一瞬罪悪感が胸をよぎるも、この女中に話したところで悩みが解決するとは限らない。
しかし、眠たいという嘘は余計な誤解を生んだようで、女中は顔を明るく輝かせていた。
「妊娠ではないわよ。旦那様が帰っていらして、まだ一週間も経っていないじゃない」
釘を刺して美都子がそう言えば、女中はあからさまに肩を落とした。
「てっきり、とうとうご懐妊あそばしたのかと……」
「いずれその日が来るわ。昨日のパーティーでの疲れがとれていないのよ。悪いけど、肩を揉んでちょうだい」
女中に肩を揉ませながら、美都子は思案した。
誰かに相談するべきである。しかし誰に?
まず、口が堅いことは当然として、義直の交遊関係に詳しい人でなければならない。
さらに冷静で、客観的に物事を分析できる人ならなおありがたい。
そう考えたら、美都子の頭の中で該当したのはたった一人だけであった。
山川雄二郎なら、条件にぴったり当てはまる。
医者という職業は守秘義務が課せられているため、口は堅いであろう。
何より彼は、義直の旧い友人だ。義直が付き合う人々について知っている可能性が高い。
そこまで考えた時、美都子の目に、山川から貸してもらった二冊の本が飛び込んできた。
彼の診療所を訪れる口実は出来た。
「出掛けるわ。車を出してちょうだい」
予定にない外出を口にすれば、肩を揉んでいた女中は訝しげに首をかしげた。
「本日はお出かけのご予定はなかったはずですが、どちらまで?」
「山川さんの診療所に。この本、もう読み終わったから早く感想を言いたいのよ」
普段から美都子は本の虫である。
なんの違和感も覚えることなく納得した女中は、しずしずと下がっていった。