その愛の終わりに
「あの……マフラーを貸してくださり、ありがとうございました」
もはやマフラーというよりも雑巾のごとく水が絞れるそれを渡し、美都子は謝罪の言葉を口にしようとした。
だが、山川は美都子の手を引いて旅館に入ることで、その空気を打ち消した。
「あなたも酷く濡れている。とりあえず着替えを借りて、服を乾かしましょう」
美都子が脱いだ靴を揃えている間に、出迎えた女将と山川が何やら話をしていた。
所々、夫婦だの休憩だのという言葉が漏れ聞こえ、美都子は体温が上昇していくのを感じた。
宿に男女が二人でいるということは、周りからはそういう目で見られるということである。
そして雨宿りをするにも、人妻である自分が夫以外の男性と二人でいることは望ましい状況ではない。
「美都子、来なさい」
突然、当たり前のように名前を呼ばれて、美都子はただ頷くしかなかった。
山川の薄い唇から紡がれた自分の名前は、この上なく甘い響きである。
女将と山川に着いていくと、黒光りする廊下の一番奥の部屋へと誘導された。
八畳ほどの和室には二人分の浴衣が畳まれており、その隣には布団も二つ。
「お風呂は男湯、女湯共に地下一階にございます。奥様のお洋服ですが、夕方までに預けてくださいますと、明日の朝には乾きますので」
どうぞごゆっくり、と言い残し、女将はしずしずと襖を閉めた。
急に二人っきりになり、美都子は気まずさから室内をきょろきょろと見渡した。
こじんまりとしてはいるが、掃除が行き届いている。
部屋の奥に生けられた茉莉花が濃く香り、胸の奥の何かが疼いた。
「先ほどは失礼いたしました……。こういう場所は夫婦でないと入れないので、ああいった振る舞いをしたのです」
こちらを見ようともせず、山川は硬い声で呟く。
「ええ、わかっております。風邪を引かないためですものね。それにしても、例えふりだとしても私が山川さんと夫婦だなんて……釣り合わないわ」
自虐的に笑うことで、美都子はこの危うい空気を誤魔化そうとした。
だが、思わぬ返しに言葉が詰まる。
「なぜ?」
「え?」
「なぜ、俺とあなたじゃ釣り合わないのですか?」
真剣な面持ちで、山川はそう言った。
無言で見つめ合う間、二人とも何も言えずにいた。
結婚しているわけでもない男性と二人っきりで、密室にいるという背徳感。
今の山川の発言。
色々なものが重なり、美都子の中でも何かが崩れそうだった。