その愛の終わりに
「答えろ美都子。それとも……答えたら都合が悪いことでもあるのか?」
義直が怒っているのを見るのは、これが初めてであった。
いつも飄々としている夫の殺気に満ちた眼差しに、美都子は目を見開いた。
ここですべてを包み隠さずに言えば、山川に迷惑がかかることは明らかだ。
だからといって隠すことももはや叶わない。
美都子に出来ることは、事実を小出しにして夫を刺激しないことだけだった。
「何からお答えすればよろしいのでしょう?」
「いつから山川と二人で会うようになった」
「あなたの浮気を疑った時から。真相を確かめたくて、山川さんの診療所まで行きました。お住まいに関しては、私は特に調べておりません。あなたが足を運んだことがあったため、我が家の運転手が覚えておりました」
淀みない答えと、すべての始まりの原因に、義直は言葉の勢いを落とした。
「……洋書の翻訳の話が出たのはいつだ」
「気分転換に東京大神宮までお詣りに行った時、偶然お会いしました。雑談の最中、時間がある時に洋書の翻訳を手伝って欲しいと頼まれたのです。お願いする数日前には小間使いを寄越されるとおっしゃっていましたわ」
「離縁した後はその報酬で食べていく気だったのか」
「さすがにそれだけでは苦しいですから、何か仕事を見つけます」
質問の意図を察するなり、美都子は離縁した後は働くことを強調した。
義直は、自分と別れた後に山川に養ってもらうつもりなのか聞きたかったのだろう。
だがそれについて、素直に答えてやる必要はない。
あとは何を聞かれるのかと身構えていると、急に義直は笑いだした。
口元は歪み、目は暗く濁った禍々しい表情に、美都子は寒気を感じた。
「美都子!とうとう俺と同じところまで堕ちたな!伴侶を裏切るのは意外と簡単なものだろう?嘘をつくことも、その為の帳尻合わせをすることも、慣れたらただの作業だろう?」
バレていたのか。
冷や汗が背中を伝い、義直の言葉の数々に心臓が痛みを訴える。
「純粋で疑うことを知らなかったお前が、堂々と嘘をつくようになるとはな。それで、どうだった?山川とも寝たんだろう?」
後頭部を殴られたかのような衝撃が走り、美都子はよろめいた。
「あの男は、手垢のついた女には興味がないんだがな。それを陥落させられたのは、ひとえに俺がお前を一人前の女に仕込んでやったからだ」