その愛の終わりに
翌朝の十時頃、宣言通り義直がやって来た。
診療所の周辺は道が舗装されていないため、自動車が入ってくるとガタガタとうるさく音が鳴る。
二階の窓から義直の自動車を見つけると、山川は小間使いを使いに出し、家の中を無人の状態にした。
これから義直とする話の内容は、誰にも聞かれたくなかった。
ほどなくして、下男も運転手も伴わずに、義直が一人で山川家の玄関を叩いた。
「遅かったな」
義直の目を見ずに、山川は低い声で言った。
「寄るところがあったからな。それより山川、一発殴らせろ」
そう言うや否や、義直の拳が山川の右頬にめり込んだ。
動きは見切っていたが、あえて山川は抵抗をせずに拳を受け入れた。
口内が切れ、血を地面に吐き出すと、自然と義直と目が合う。
「よくも人の女を……この裏切り者!」
自分で言葉にしているうちにまた怒りが湧いてきたのか、義直は再び拳を振りかざした。
しかし今度は、山川がその腕を掴む。
「なんとでも言え!お前が彼女を幸せにしていれば、俺はこの気持ちを抑えただろう。だが今、彼女はお前を見切り、俺を選んだ!」
「お前、本気でそう言っているのか?」
突然、にたりとほの暗い笑みを浮かべる義直に、山川は形容しがたい気持ち悪さを感じ、無意識に腕を放していた。
「美都子がお前を愛したのは事実だが、俺と離縁する可能性はまったくなくなった」
「……どういうことだ?」
嫌な予感に指先から急速に冷えていくが、山川はそれを無視して義直を睨んだ。
「妊娠していたんだよ。俺の子供をな」
その一言に、力という力が一気に抜ける。
淡く夢見ていた美都子との穏やかな生活が、音を立てて崩れていった。
「もうお前には会いたくないそうだ。今後、美都子がお前と会うことはもうないだろう」
「嘘だ」
咄嗟に吐いた否定の言葉を肉付けするため、山川は続けて畳み掛けた。
「美都子さんなら、直接俺にそう言うはずだ。簡単に諦められるくらいなら、俺の手を取ることを躊躇わなかっただろう」
「お前が知っている美都子は昨日までの美都子だ。それより、一つ聞きたい。他の男の子供を妊娠しているとわかっても、お前は美都子を愛せるのか?」
即答しようと口を開いた山川だが、そこから言葉は出なかった。
当然だ、愚問だ、と声高に言いたい。
だが、美都子の妊娠をいまだに信じられない自分がいて、頭のなかにあらゆる言葉が浮かんでは消えていた。