その愛の終わりに
「美都子さん!?」

奈月の悲鳴と女中達のざわめきは、どこか遠くから聞こえているようだった。

もしあの時、義直の不貞に耐えていれば、きっと子供は無事生まれただろう。

もしあの時、山川と過ごした夜を完全に忘れ去る努力をして、誰にも悟られなかったら、やはり子供は無事生まれただろう。

もし山川を愛さなければ……。

子供は生まれたに違いない。きっと夫婦関係は冷めきってしまうが、それでも地獄のような苦しみを味わうことはなかった。

そうわかっていながら、山川を愛さなければよかったと、その愛を否定することがどうしても出来ない。

子供を失ってもなお、彼への気持ちが薄れることはないのだ。

それがどれだけ浅ましいことなのか、美都子は痛いほどわかっていた。


「ごめんなさい……」


罪深く強欲な母親でごめんなさい。
無事に生んであげられなくてごめんなさい。

虚ろな目で、ごめんなさいと言い続ける美都子を、奈月が強く抱き締めた。

女中達の反応は様々である。
美都子を哀れむ者、とうとう狂乱したと戦慄する者、困惑する者。

一歩引いたところで、義直は美都子と美都子にしがみつきすすり泣く母親をどこか冷めた目で見ていた。

東雲美都子の魂は死んだ。
その日の朝に再び呼んだ医者は、そう診断した。

それから三日間、美都子は誰に話しかけられても返事をせず、あれほど好きだった本にも興味を示さない。

破壊衝動がなくなった代わりに、ベッドの上からピクリとも動かなくなった。

食事は固形物を一切食べなくなり、無理やり食べさせると即座に吐いた。

やがて味噌汁やスープなどの汁物もあまり受け付けなくなり、緩やかにだが体が衰弱していった。

「どうしたら元気になってくれるのかしら?」

寝室から出てくるなりため息をつく母親を尻目に、義直は人払いをして書斎にこもった。

日の光が差し込む書斎の中央に鎮座する、深い茶色のマホガニーの机は、確か最後に美都子を抱いた場所である。

もし時間を巻き戻せるなら、今度こそ間違わない。

正しく自分の気持ちを伝え、行きずりの女達とは早く手を切り、美都子が自分のものになるのを辛抱強く待っただろう。

だが、過去は変えられない。

美都子の中での義直は、永遠に、嘘つきで女を道具として扱い、時には殴る粗野な男のままだ。

マホガニーの机と揃いの椅子に浅く腰掛け、義直は引き出しから紙を何枚か引っ張り出した。

< 73 / 84 >

この作品をシェア

pagetop