その愛の終わりに
ここ最近、義直は持ち帰ることが出来る仕事はすべて持ち帰り、夜中まで書斎にこもっていた。
時折気分転換に夜の庭を歩けば、厳しい冬の盛りではあるが、最近庭の梅が色づきだしたことに気づいた。
日中に暖ければ、そこはかとなく柔らかな香りが漂うだろう。
一昨日美都子を見舞った時も、庭に誘うつもりであった。
だが、明らかな拒絶を前にして、以前のような気安い関係はなくなったのだと思い知った。
ここまで来てしまった以上、もう腹を括るしかないことは義直にも分かっていた。
マホガニーの机の引き出しには、離縁届けが入っていた。
「これを出す時は、そう遠くないな」
記入はすでに済んでいて、いつでも届けられる。
美都子に手を上げたあの夜から、彼女の山川を想う言葉が強烈に脳裏に焼き付いて離れない。
例え別れることになっても相手の幸せを願うというかとがどういうことなのか、今の義直は理解することが出来た。
廃人同然の美都子を見て、彼女を縛るすべてのものから解放したいと思ったのだ。
それは、今まで欲望に忠実に生きてきただけの自分には、考えられないような変化だった。
ふと寒気を感じ、義直は窓辺に歩み寄る。
夜空から一片、また一片と雪が落ちてきた。
次第に勢いを増し、雪は瞬く間にその質量を増やしながら降っていった。
これではせっかく咲き始めた梅が雪に埋もれてしまう、などと考えながらぼんやりと外を見ていると、裏門のほうに人を見つけた。
段々それは近づいてきて、門の前でぴたりと止まった。
人が引いているのは車である。
こんな真夜中に人力車がいるのはなぜか、義直は首をかしげた。
だが疑問は、裏庭を突っ切る二人の人間を見つけて、解決した。
「美都子……」
女中を伴い、美都子は風呂敷を一つだけ持ち、夜の庭を進んでいた。
その行く先には、人力車が待っている。
この屋敷を出ていくのだろうと察すれば、義直は引き留めたい衝動に駆られた。
足が動きそうになるのを必死で押さえ、じっと目を凝らして遠くにいる美都子を見つめる。
真っ白な雪はまだ美都子を完全に覆い隠してはいなかった。
「積もる前に、早く行ってくれ」
白蓮事件が完全に解決したわけではないため、最近の号外に東雲家の醜聞は載っていない。
一時期屋敷の周辺をうろついていた新聞記者も、かなり減った。
道中で誰にも見つかることが無いように祈りながら、義直は美都子の細い背中を見送った。