ラブレターを君に
カズは、理音の気持ちが、少しは理解出来た。
何故なら、カズも小さい頃に、似た体験をしていた。ピアノは、3才から習わされた。行儀見習い、礼儀作法にとても厳しい両親であった。子供心に、自分は、この家の子ではないのではないか?とまで疑う程厳しく育てられた。身体が弱かったせいもあり、鍛えるための、空手や柔道もさせられた。
ピアノは、中学生まで先生に個別指導を受けていたが、先生と表現の仕方の違いが出て、自分から、断るはめになって以来、自分で時間を作っては、弾く事にしている。今でも、曲作りには、ピアノは欠かせないでいる。
あの頃から、自分を全面に出す事が出来るようになっていった。
体力も、気力に於いても、父親に負けない位にまで上達した自分があったから、両親には、はっきりと意見出来るようになれた。
自分の進路も自分で決め一切両親も口を挟む事はなかった。
だから、何も言えず、両親を恐怖に思ってた頃の自分が、正に今の理音なのではないかと思えるのであった。
何とかきっかけを作ってやりたかった。
そして、短い時間をぬって、計画を建てた。
その為に、まずスケジュールを調整して、その日の、夜8時から、翌日の朝8時まで、理音の為に使えるように手配をしていた。
何故なら、カズも小さい頃に、似た体験をしていた。ピアノは、3才から習わされた。行儀見習い、礼儀作法にとても厳しい両親であった。子供心に、自分は、この家の子ではないのではないか?とまで疑う程厳しく育てられた。身体が弱かったせいもあり、鍛えるための、空手や柔道もさせられた。
ピアノは、中学生まで先生に個別指導を受けていたが、先生と表現の仕方の違いが出て、自分から、断るはめになって以来、自分で時間を作っては、弾く事にしている。今でも、曲作りには、ピアノは欠かせないでいる。
あの頃から、自分を全面に出す事が出来るようになっていった。
体力も、気力に於いても、父親に負けない位にまで上達した自分があったから、両親には、はっきりと意見出来るようになれた。
自分の進路も自分で決め一切両親も口を挟む事はなかった。
だから、何も言えず、両親を恐怖に思ってた頃の自分が、正に今の理音なのではないかと思えるのであった。
何とかきっかけを作ってやりたかった。
そして、短い時間をぬって、計画を建てた。
その為に、まずスケジュールを調整して、その日の、夜8時から、翌日の朝8時まで、理音の為に使えるように手配をしていた。