絶望エモーション
序
彼女が誰を見ているか知っている。
美しい黒い瞳を伏せて、遠慮がちに視線を這わせている。
彼女は気持ちに気づいてほしいとは望んでいない。
ささやかな恋を心で楽しむだけで満足なのだ。
そんな彼女が本質的には誰も愛したことがないのも、俺はよく知っている。
飾りの少ないシャツに地味な色のスカート。ローヒールのくたびれたパンプス。
自然なダークブラウンの髪を後ろでまとめ、繊細な美貌を隠すかのように、化粧はごく薄く地味に施して。
禁欲的なその姿態を、俺がどんな目で見ているかも、きっと気づいていない。
彼女は自分が匂い立つ花の盛りであると、自覚したことすらないのだろう。
俺はじっと待っている。
糸をかけ巣を張った蜘蛛のように。
執念く、息を殺し待ちわびている。
美しい蝶の片脚を捕まえる機会を。
がんじがらめにして、捕食する瞬間を。
ただひたすらに待っている。
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