カルテットリバーシ
 キャンバスに向かって絵の具をぐしゃぐしゃと塗りつけた。
 慌てて美夕ちゃんがやってきて私の右腕を強く掴んだ。

「ちょっとちょっとちょっと!!何してるの!もう今週提出なんだよ!?セレン!?」

 腕を掴まれてから、ハッとして力を抜いた。

 目の前のキャンバスはその時筆にたっぷり付けていた緑色の絵の具で全面ぐっしゃり塗りつぶされるところだった。見えている他の色と、何も調和しない緑色が右へ、左へ、あちこちに散布して。一体何の絵なのかわからない状態だった。

「…だ、…大丈夫よ、元々抽象画だから、ごめんね美夕ちゃん、今から、急いで直そうかな。うっかりぼんやりしちゃったなぁっ、あはは」

 無意識の中の記憶。
 私はキャンバス全部を、緑色にしてしまいたかったと思っていた。

 全部を緑に。

 そうしたら、私の気持ちが表現出来そうな、気がしたけれども。
 実際目の前広がる汚い緑色には何のセンスも価値も無いような気がして肩を落とした。

「何かあったの?話くらい聞くし、一回筆置きなよ。落ち着いてからまた描けばいいじゃない。ね?」

 私の背中を優しくさする美夕ちゃんが泣きそうな顔でそう言った。
 でも、この汚いキャンバスをこのままにしておくのはなんだか嫌だった。

「…あ、…ちょっと直してから。このままじゃなんか…人に見られたら恥ずかしいから」

 弱く笑うと美夕ちゃんはこくり頷いて自分のイーゼルの前に戻って行った。


 秘められた思い。
 それがモチーフだったはずの、私の絵。

 緑君を思って塗った緑色は、緑君の色ではないのだと漠然と知った。
 緑君への私の思いは何色だったんだろう。

 この絵を描き始めた時の構想を思い出す。
 緑君と初めて出会った日の空の青、部屋の中の闇と私の心の闇の黒、見えない緑君の気持ちと私の不安の暗い青に、緑君が笑っている明るい未来のキラキラとした白と。
 ひとつの絵の中にたくさんの緑君を描こうとした。
 私の中の全部の緑君を描こうとしたのに。

 もうどこにも緑君はいなくなってしまった。

 明日緋色の部屋で、緑君に。
 昨日はごめんと、今日のお昼のごめんを伝えなければいけない。
 でもごめんねって言うには、その理由を、話さなければいけない。

 ごまかしていて、いいのかな。
 本当にそのままで、いいのかな。

 でも、告白しようなんて覚悟も勇気もまだまだそんな段階じゃなくて。アピールすら出来ていなくて、恋に気付いたのだってまだついこの昨日の事で。

 だったら次は何をすればいいの。

 恋に気付いたら、次は何をするの。
 私を好きになってもらえるように努力すればいいの…?

 それは、…どうやるの?


 筆に白を付けた。
 ぐしゃぐしゃとした緑の上を白でなぞって行く。
 多少混ざった明るい黄緑が滲んで、ふわり笑った緑君を思い出す。

 緑君が笑っているのがいい。
 緑君が楽しく話しているのがいい。
 緑君に会いたい。
 
 緑君に、会いたい。
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