【ショート・ショート】コーヒー
「ありがとう」
 白いそのマグカップを受け取った瞬間、懐かしい香りがして思わず口元がゆるんだ。昔はいつも飲んでいたものを、彼は覚えていてくれた。

 彼は私の“あな”だった。“王様の耳は~”の“あな”だった。ただ、吐き出すのは秘密ではない。私の、記憶だったりする。
 軽い物忘れは昔からあった。人の名前や、昨日のことを忘れてしまったり。時にはついさっきのことまで忘れてしまうこともあった。だがその反面、時折思い出すのだ。テレビやマンガの一場面のように、部分的なことを。その中には繰り返し見えるものもあった。いつも霧がかかっていて顔ははっきりしていないけれど、男の子の、横顔だった。夜空の下で、何かを言われていた。同じ言葉を、自分でも言いながら。

 それが、私の大切な記憶なのかもしれない。
「そうかもね。“あの人”の性格が出ていたのかも」
 部屋にはその人の性格がよく表れる。
 現に、この、彼の部屋には彼の性格が表れていた。シンプルな彼らしく、必要最低限だけの家具。色合いにしてもだ。白と黒しか見当たらない。
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