月はもう沈んでいる。
*
旅立ちの時間まで、あと数時間。
やり残したことすべてやろう、と忍び込んでみたはいいものの。
「朔(さく)見てこれ。防犯する気ねえーっ」
けたけた笑う陽(あきら)と違って俺はだんだんと、低すぎる高校の防犯意識が不安になってきていた。
卒業する俺にとってはもう、関係なくなるんだけどさ。
ぶらりと垂れ下がるだけの南京錠を尻目に、とっくに解放期間の過ぎたプールへ足を踏み入れる。
「すげーっ、何もねえ! 予想通りたいしておもせくねー……って、いねえし!」
更衣室から出てきた陽は、飛び込み台に腰かけようとしていた俺を見るなり眉を吊り上げた。
「朔この野郎! 独り言にさせんなや!」
「俺を置いてくおまえが悪い」
「アホ! マイペース! もっと前のめりに楽しめって言ってんのーっ!」
「さっき、たいして面白くないって聞こえたんだけど」
「おもせくねーのが面白いっ」
「転ぶなよ」
大股で1歩進んだ陽は、ステップを踏むみたいにくるくるとプールサイドを回り始める。時折立ち止まってフェンスの向こうに目を凝らしたり、空を見上げたり。
意味のない行動。交わす言葉さえない。それでも無駄を感じないのは、陽を目で追うだけの時間が10年の間に、俺の日常へと染み込んでいったせい。
「朔!」
指し示されたプールへ一応目を向けるが、陽が何を見ていたのか、何を教えたいのか、頬をゆるめる理由だって、知っていた。
「きれいだなーっ」
「……そうですね」
濁ったプールの水面に反射するただの半月がきれいだなんて、どうかしてる。
どうかしてるけど、月明かりのおかげで嬉しそうに笑う陽が見られたから、きれいだってことにしておいた。
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