月はもう沈んでいる。
「――ふ、え……っくしょい!」
バチッと目を開けたときには、陽は鼻をこすり謝るでもなく、「気持ちいいの出たー。あはは!」と笑っていた。
「おっまえ……!」
きたねえ! 人の頭に向かって思っきしクシャミしやがった!
「ふざけんなアホ! せめて顔背けるとかしろわ!」
「あーん? ちっさいことでごしゃぐ男は嫌われっとわ」
「おまえだってそのままじゃ一生女扱いされねえぞっ」
やべえ言い過ぎた!
口を尖らせた陽は俺の焦りに気付いてか、瞬きの間に口元をゆるませていた。
「おがったなやー、朔」
「……、は」
逸れた目線の先をたどれば、俺が寄りかかっていた壁に不格好な横線と〝朔〟の文字。その下には同じように〝陽〟の文字が横線と並んで記されていた。
10センチにも満たない、身長差。いつ開いたかも分からないそれが成長の証だとしても、喜びや感慨深さはなく。そっと触れたふたりの距離はひんやりとただ、指先の温度を蝕んでいく。
「残すほど伸びてないって言ったくせに、なんだよ」
「残しといてもいいかって思ったんだよ」
見向けば陽はポケットに油性ペンをしまっていた。
用意周到だなと思いながら、よこされた照れくさそうな笑みに薄目を向けた。
「10年いっしょにいた証、みたいな?」
うひひと笑った陽は「さーっ次行くどー!」と拳を上げ、正門へ走っていく。
10年分が、ただの横棒2本と名前だけって。
「いらねえ……」
陽は昔からそうだ。
俺が本当に欲しいものなんて何ひとつ分かっちゃいないくせに、欲しかったと思わせる。
遊ぶ場所も道具も手に入らないようなクソ田舎で、陽だけが、何でも作って与えてしまえる特別な奴だった。