さくらのこえ
自分と同じ年の、雲の上の人物に春姫はずっと恋い焦がれていた。けれど、それはもう叶わない。
「和春様、お父上がお呼びでございます」
「……分かった。では、名残惜しいがまた明日な」
和春が自分を置いていることをきっと誰にも言わないでいるのだろう。春姫を世話してくれる女房たちが時折、和春の縁談の話をしているのを聞いていた。
春姫はあの夜屋敷を飛び出してからひたすらに遠くへ歩いた。真夜中だったからか人の気配は全く無く、月明かりに導かれるようにあの桜の元まで足を進めた。後のことは記憶に無かった。
誰の迷惑にもならないようひっそりと死んでしまいたかったのに、今こうして安全な場所で生きていることが不思議に思える。
それと同時に、また以前のように和春にも迷惑をかけてしまうのではないかと春姫の心中は穏やかでは無かった。
「……っ……はー……」
せめて声が出れば自分の思いを話すことができるのに、漏れ出る息は何も伝えることができない。
途端、忘れようとしていたあの出来事が鮮明に脳内を駆け巡る。
「はっ……はー、は……っ!」
目の前を染める赤。
月明かりに照らされ異様な輝きを放つ刀。
自分を抱き締める冷たい温度。
それら全てが春姫を縛り、今そこにいるかのような錯覚にさえ囚われる。
「春姫様?!いかがなさいましたか!」
「春姫様!」
「どこが苦しいのです?」
春姫の荒い呼吸に女房たちが慌てて春姫を支える。
迷惑をかけるわけにはいかないと、おぼろげな思考の中で、首を何度も振り女房たちの手を振り払う。
「落ち着いてくださいませ!」
「何てこと……和春様をお呼びする訳にはいきませんし……」
「春姫様、お気をしっかり……!」
いっそこのまま死ねたら誰にも迷惑などかからないかもしれない。死んでしまいたい。春姫の心は既に重い鉛のような感情で埋め尽くされていた。
迫りくる光景に春姫は拒絶を示す。嫌だ、嫌だ、嫌だ……!
自分でも感情を制御することができず瞳から大粒の涙が零れてゆく。自分が大好きだと思った全ての存在が遠ざかってゆく。手を伸ばしても届かないそれに、絶望へと叩き落される、気がした。
「……っ――――――――!!」
声にならない叫びをあげて、春姫の感情はそこでふつりと途切れた。