さくらのこえ
春らしく穏やかな夜更けに似合わない慌ただしさが三か所で起きていた。
「父上!いい加減にしてください!」
父に声を荒らげる姿は二人。春姫の兄である中将と和春だった。
中将は消えてしまった妹の対応に、和春は繰り返される縁談の話に、それぞれ怒りをぶつけていた。
「なぜそこまで執着するんだ。声の出ない娘などどこにも出せない。戻ってきたところで何も期待できまい」
「決まってるじゃないですか、妹だからですよ。……俺たちはたった二人だけの血が繋がった兄妹なんだ。声が出なくたって構わない。父上だってそうでしょう。母上のこと、忘れられないはずです」
「……今、母のことは関係ないだろ」
「いいえ、あります。藤子を見るたびに……母上にそっくりな姿を見るたびに父上は藤子を遠ざけていたじゃないですか」
「…………」
図星だったようで中将の父は口を噤む。いつまでも煮え切らない父に中将の怒りは爆発しそうだった。
藤子がいなくなってから、左大臣家はいつもと変わらなかった。誰も藤子なんて知らなかったように変わらない屋敷に中将は父に藤子を探してほしいと願い出た。しかし今日まで何の反応も無かったのだ。
「父上がそういう態度をお取りになるつもりなら、自分一人で探します。失礼します!」
「おい!」
中将は啖呵を切り屋敷を出た。もうすぐ春の宴が開かれる。車に乗り込み春宮殿へと向かう。
一方で、同じように父へと抗議をする姿があった。
「自分の相手は自分で見つけます」
「そう言い続けて何年経ったと思ってるんだ。最初こそお前の幸せを願って自由にさせようと思っていたが、もう我慢ならん。この縁談は悪くないと思うぞ」
「結構です」
「なら他に好いた女性でもいるのか」
「そ、れは……」
歯切れが悪い和春を見て、父は何かを察する。
「いるんだな」
「もういいでしょう。私はこれから春宮殿の春の宴がありますので失礼します」
「良い時期が来たら教えるんだぞ。早めにな」
「失礼します!」
足早に去っていく和春を見て、内大臣は少しだけ安心の息をつく。三年ほど前からずっと婚姻の話を和春に提案してきた。それが漸く落ち着こうかとしているのだ。内大臣にとってこれほど嬉しいことはなかった。
もちろん良家であれば文句はないが、それ以上に和春の幸せを望んでいた。それは自らが恋愛結婚だったからかも知れなかった。
「楽しみだなこれは」
和春の怒りとは対照的に、内大臣の心は軽かった。それから、妻に話をしてやろうと腰を上げたのだった。